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赤星憲広が明かす難解な岡田監督の会話

デイリースポーツオンラインの『 元阪神・赤星氏 岡田語に冷や汗だった 』より。

8/26放送予定の関西ローカルのTV番組「痛快!明石家電視台」の収録時に出たエピソード。
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掛布と安藤統男監督とのちょっとしたエピソード

「THE PAGE」で掛布さんが連載記事を書いている。
その中で、先日の中村紀洋の球団とのトラブルに関して苦言を呈しているのだが、それに関連して掛布自身のエピソードが紹介されていた。

1984年に神宮でこんな経験をしたことがある。1点のビハインドで迎えた9回二死一塁で4番の私に打席が回ってきた。一塁走者は、現在、スカウトの北村照文だ。快足の北村には、「行ければ行っていい」のいわゆる「グリーンライト」のサインが出ていたが、私は「4番バッターのケースで走ることはないだろう」と考えていた。しかし、北村は盗塁を仕掛けて失敗。私は、バットを振らないままゲームセット。腹立たしさの前に「え? 何が起きた?」と呆然とした気分になったことを覚えている。

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当時の阪神の監督は安藤統男氏。

試合が終わってホテルに帰ると、安藤監督が、話があるという。「私が『待て、走るな』のサインを北村に出しておくべきだった。私のミスだ」。安藤監督に、そう説明をしてもらって納得した。

4番バッターとしてのプライドが保たれたのだろう。それに不思議はない。

それよりも、北村は確かに俊足のランナーだと思うが、この年のホームラン王にも輝く掛布の打席でもグリーンライトのサインが出ていたのが驚き。

北村の生涯盗塁数は114個で成功率.687。
この年は9盗塁。しかし7つ盗塁死があるので成功率.562と微妙な年だったのだろう。

日航機墜落事故にこんなエピソードがあったとは

MSN産経WESTの『ナイン搭乗機が墜落、6連敗で首位陥落…号泣の日本一の背景』より。

当時サンスポの記者だった植村徹也氏のコラム。

私が阪神担当になったのは1984(昭和59)年の晩夏。当時は安藤統男監督が成績不振にもかかわらず、留任が一度は発表され、その後、不可解な辞任発表があったまさにその時でした。

次期監督を巡る関西のスポーツ紙の報道は過熱する一方でした。村山か? 吉田か? 歴史的に振り返るとそんなムードだったと思うでしょう。でも、当時は違いました。筆頭候補だった西本幸雄さん(阪急や近鉄を鍛え、優勝させた監督)が監督要請を辞退し、いつ村山さんに監督要請が来るのか? 注目はその一点でした。だから、当時、勤めていた夕刊紙では村山番を命じられ、芦屋・精道町にある自宅に張り付く日々でした。

安藤さんが辞める時も一悶着があったのか。

翌1985(昭和60)年、結果として2度目の監督に返り咲いた吉田義男監督の下、阪神は開幕ダッシュに成功しました。波に乗ったのは4月16日から本拠地・甲子園球場で行われた巨人3連戦でした。第1戦、佐野の打ち上げた中堅前の打球を巨人・河埜が落球し、そこから怒涛の攻撃で10-2の大勝。そして、続く17日、今や伝説になったバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発。翌18日の試合にも勝ち、巨人戦に3連勝して、世の中に猛虎フィーバーが巻き起こりました。

てっきり5月だと記憶していたが、伝説のバックスクリーン3連発は4月だった。
河埜のエラーが未だに語り継がれてしまうのは不運なのか、幸運なのか。

 
そして、阪神21年ぶりのリーグ優勝が見え始めた8月12日、月曜日。
日航機が墜落した。

阪神はその前日、福岡の平和台球場で試合を行い、当日午後の便で福岡国際空港から羽田空港に移動している。しかも阪神が乗ったJAL366便は、その後、JAL123便として伊丹空港に向けて飛び立った機体だった。

けたたましい電話のベル。当時の会社のデスクでした。
「どうも中埜肇球団社長が日航機に乗っていたようや。まだ安否はわからへん」

後楽園球場で巨人戦を迎える阪神は沈痛なムードに包まれていました。まだ生死が判明していませんでしたが、吉田監督は気丈に采配をふるっていましたね。でも、チームに与えた動揺はすさまじく、巨人戦3連敗を含む6連敗を喫するのです。首位の座からも陥落してしまいました。

 
事故4日後に、球団社長の遺体が家族により確認された。

吉田監督らナインは「社長のためにみんなでがんばろう」と奮い立ちました。8月17日の広島戦では、広島市民球場で両軍による黙祷が行われ、スコアボード上の両球団旗を半旗にして試合が行われました。

 
そして10月16日、神宮球場でのヤクルト戦でリーグ優勝が決まった。

ネット裏の記者席から吉田監督の胴上げを見ました。慣れていないから下手くそな胴上げでしたが、だからこそ味がありました。球場を引き揚げていく監督、コーチ、選手たちは声を出して泣いていました。その試合のウイニングボールは直後に、宝塚仁川の社長宅に吉田監督らナインの手で届けられました。日が沈みゆく夕暮れ、玄関先で取材待ちしていると、家の中から男たちの泣き声が漏れていました。激しい泣き声でした。嗚咽でした…。

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女房はドーベルマン(3) その他

女房はドーベルマン(野村克也著)』より

プロ野球といえども、まずは興業であり、人気商売。巨人ファンがいればアンチ巨人ファンもそれに匹敵する数がいる。私はアンチ巨人ファンが喜び刺激を感じることは何かを考え、巨人批判、長嶋批判を繰り返してきた。

さらに、巨人を挑発した理由がもう1つある。プロ野球とは「戦い」である。
野球を試合と思っているうちはまだアマチュア。
試し合いではなく、真剣勝負。この2つでは当事者の意識が違う。

攻撃において監督としてまず考えなければならないのは、得点圏に走者を置くこと。
塁に出るのは選手の仕事だが、セカンドにランナーを進められるかどうかは監督の采配が七割以上を占めている。

日本の今の応援スタイルは、選手に感動を与えにくい。1つ1つのプレーに観客の生の反応がかえってきていない。選手の観客への反応もしかり。

試合時間の短縮、プレーのスピードアップを目的にバッターボックスを外すな、サイン交換を速くしろと言われるが、ピッチャーの制球力が下がっているのが一番の原因。

キャッチャーは完全主義者でもある。人間のやることだから完璧などありはしないと思ったらおしまいだ。常に完璧なゴールを想定し、試合後そこにどこまで近づけたか反省する。
最初は完全試合を狙い、次にノーヒットノーラン、完封。いつもそう考えていた。

断言するが、野球というスポーツの奥深さも楽しさもキャッチャーというポジションに集約されている。どんなポジションにつくにしろ、野球を志す人は、一度はキャッチャーを経験したほうがいい。

私は、技術力、あるいはパワーやスピードだけでは、野球は絶対に勝てないという考え方に立っている。技術以外の無形の力、たとえば観察力、洞察力、分析力である。

野球について考えるとは、とりもなおさず人間について考えることだと言っていい。人間について考えるとは、人間の心理や行動について考えることである。

変化球を投げる理由。
1つはストレートのスピード不足を補うため(ストレートが速ければ変化球がなくとも打ち取れる)。1つはコントロールミスで打たれる可能性を低くするため(変化球を待っていればど真ん中にストレートがいっても打ち損じる確率が上がる。また、変化球を意識させるだけで効果がある)。

進行中のゲームについて話す解説と、結果がわかったあとに責任を負って書く評論は大きく違う。

阪神監督時代

男として童貞かどうかは、案外大きな意味をもつ。井川にも童貞を捨てるよう直言した。

サッチーには、ヤクルト時代のような覇気がなくなったとはっぱをかけられていた。

東京地検特捜部の家宅捜索の際には自分のノートも持っていかれた。

阪神は、野村の今後のことを考え、解任ではなく辞任とした。

マスコミとの付き合いがいかに難しいかを実感した阪神での三年間。

星野監督は気配りができ、処世術にもたけている。