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80年代ルーキー秘話(1)

Number 774号 ルーキー秘話。~プロ野球大型新人伝説~(2011年3月10日発売) 』より。

定岡正二 & 西本聖

西本は1年目からきれいに勝とうなどとは考えていなかった。内角を抉るシュートを覚えると、多摩川のブルペンでの居残り練習で完成度を高めていく。一方の定岡はスライダーを主体にしたきれいなピッチングにこだわった。

ライバルに闘争心を燃やして人一倍努力し、実力を高めていく西本聖。
今の時代にはなかなかここまでの人は現れない。

江川へのライバル心にはついては、「二人のエース<江川卓vs西本聖>」で触れられている。

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原辰徳 & 篠塚利夫

原が守ることになったセカンドは、一つ年上で高校時代から仲の良かった篠塚と同じポジション。「2人を競い合わせて育てていく」と藤田監督は強調したが、気のやさしい篠塚はライバルの原に対しても「巨人のしきたり」を何くれとなく教えた。のちに中畑の故障で原はサードに転向することになるが、監督就任後も「あの時の恩は忘れない」と篠塚の面倒を見た。

確かに、原が初めて監督となった2002~2003年は、前年までの長嶋ジャイアンツのコーチだったこともあり篠塚はコーチを継続。2003年シーズン終了後に二人とも解任され、第二次原ジャイアンツが2005年シーズン後に発足すると、篠塚もコーチとして復帰している。

荒木大輔

神宮球場での練習には女学生が押しかけ、選手たちはろくろくトイレにも行けないほどだった。そんな選手たちの苦情を聞き入れた球団は、混乱回避のために球場と選手サロンとの間にトンネルを建設。このとき作られた地下通路は通称「荒木トンネル」と呼ばれ、現在も当時のままに残されている。

その荒木トンネルの写真がこちら。
arakitonnel

藤王康晴

地元・中日に請われて入団した享栄高の藤王は、先輩の田尾や藤波らに可愛がられ、よく飲みに連れて行かれた。1年目で34試合出場、打率3割6分1厘は立派だが、地元ファンの贔屓の引き倒し、18歳の若さゆえに夜の練習よりも夜の街に溺れてしまった。

新人で背番号1を背負っていたし、名前もなんだか強そうな名前で、子供心に強く印象に残っている選手の一人である。