RSS

タグ : 甲子園 2件あります

甲子園球場と阪神園芸と下柳剛

2月にスポニチの下柳のコラムに注目したっきり目を通すことができていなかったが、久しぶりにチェック。

最新の6/9の回では、甲子園球場での思い出について触れられている。

本人の中では良い印象しか残っていないという甲子園。
実際に甲子園での成績は87試合投げて44勝17敗、防御率2.90の見事な成績。
勝率7割2分は恐れ入る。

そして、甲子園のグラウンド整備を行なう阪神園芸とのエピソードも。

本拠地ならではのちょっとした工夫もあった。これは、いまやから書ける話やけど、阪神時代、阪神園芸さんにお願いしてオレの先発時は通常よりもマウンドを硬めにしてもらっていた。

地面が硬ければ硬いほど、力をもらえるんや。具体的には、バッターへ踏み出す側の右足が着地した時やね。地面から右足に伝わって来た力を、最終的には左手の指先に伝えるイメージ。だから、オレは硬いマウンドの方が好きやったんや。

その硬いマウンドに対応するために、スパイクにも工夫を凝らしとった。普通、スパイクの裏にある歯は多くても9本ぐらいなんかな。でも、オレの場合はほぼ倍の16本をつけてもらっている時期があった。

それだけ歯が多いと、マウンドを踏みしめたときに絶対にずれない。少しのズレ、ブレが投手にとっては命取りになるわけやから。

他の選手がどうだかはわからないが、細かいところにも気を使っていたというのは下柳の自負のようだ。

そして、もう1つ阪神園芸絡みの思い出が紹介されている。

オレにとって忘れられない一戦がある。2007年9月17日の巨人戦。1―0でリードした迎えた5回やった。

2死一塁となったところで、急に雨脚が強くなってきてね。打席にはピッチャーの木佐貫。そしたら、巨人側から試合中断を要請する動きが入った。チームにとっては優勝争いの一戦。オレも頭に来たから、思わず「シッシッ」ってグラブで追い払ったわ。

で、試合は結局、中断。何とも言えん気持ちやったけど、阪神園芸さんがオレのところへ走ってきてくれた。
「シモ、絶対に中止にしないからな!」

その言葉通り、グラウンド状態は最悪に近かったけど、懸命の整備の甲斐あって試合を続行することができた。だから、オレも約10分間の中断中、集中力と気持ちを一切切ることはなかった。オレに勝ち星はつかなかったけど、最後は4―1で勝利。これは、ほんまに、うれしい勝利やった。甲子園以外の球場やったら、まず降雨ノーゲームやったやろうからね。

裏方さんあっての選手という話。
やはり、下柳はエピソードの切り取り方も悪くない。
またちょくちょく覗いてみよう。

斎藤佑樹(1) 高校・大学時代

Number 774号 ルーキー秘話。~プロ野球大型新人伝説~(2011年3月10日発売) 』より。

小さいころの野球は、”おもしろい”。楽しいというふうには感じなかった。楽しかったのは、やっぱり高校3年の夏と、大学4年の秋の野球。やっぱり、結果を残していくことで世の中が注目してくれるんで、結果を残していくときが一番、楽しい。

単純に、人よりたくさんの苦労をして、よりよい結果を出すことに快感を覚える。高校のときは、高校2年の夏まで苦労をしてきて、そこから3年の一年間、頑張ってやってきたことの結果を出せた喜びだった。大学のときは1年、2年、3年と苦労が増えて、最後に結果を出せたことへの喜び。これはもう、すごく快感だった。

中学生まで野球を本気でやってきたつもりだったが、でも、本気の野球は知らなかった。早実に入っても、最初は何も背負っていなかったと思う。自分中心で、上だけを見ていた。早くエースになりたいという気持ちだけ。当時は、自分自身がプロ野球で活躍するためにどういうシナリオを描いていくかということばかりを考えていた。

甲子園では後先も考えず、怖いもの知らずだった。ただ、自分がうまくなりたい一心で、ノーマークの状態で勝ち上がった。優勝まで、邪魔するものは何もなかったという感じだった。

甲子園のことはできすぎだ、本当の自分じゃないって自分に言い聞かせていた。自信はあった。でも、できてるうちは「できすぎだ」って思うようにしていた。

大学1年のときはいろんなことが、あまりにも簡単だった。しかも、大学1年でトップを見たから、もうそれ以上はなくなってしまった。

3年になって、そのまま行けばよかったのに、「このままでいいのか」って考えてしまった。今後10年、15年の野球人生、これでいいのかと考えて、新しいことにトライしてみた。そこでちょっとブレーキを踏んでしまったという感じ。

もっと簡単に考えればよかったという思いはある。今は、完全じゃないけど、取り戻せた感覚はある。