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下柳剛が語る島野育夫氏と田中将大

今年の1月からスポニチアネックスで連載されている下柳によるコラムが、味わいがあってなかなか良い。

例えば、2/10の「本邦初公開 下柳氏が楽天入団時に背番号「91」選んだ理由」。

下柳は最後に所属していた楽天で背番号として91を選んだ。
それは阪神時代に世話になった島野育夫氏にちなんでということだ。
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昭和43年巨人ドラフト1位 島野修の生き方

NEWSポストセブン『巨人ドラ1選手が他球団マスコットの「中の人」になった経緯』より。

島野氏の名前は記憶の片隅にあるかなという程度だった。

「黄金のドラフト」といわれた1968年。
山本浩二(広島)、星野仙一(中日)、田淵幸一(阪神)、山田久志(阪急)といった錚々たるメンバーが連なる中、巨人が1位指名したのが島野修。

神奈川県武相高校出身。高校時代は2年連続甲子園に出場。
県予選ではノーヒットノーラン、18奪三振を記録した右腕投手。

当時巨人は田淵を狙っていたが阪神に奪われ、島野を大洋に持って行かれるならばと指名したのだった。球界では驚きの指名で、巨人入りを希望していた星野が「島と星の間違いじゃないか」と言ったというエピソードは語り草である。

さすが星野さん、当時から瞬発力のある言葉を残している。

ドラフト1位ということで周囲からいつも見られているプレッシャーがあった。1年目に1勝を上げると、もっと良くなるとフォーム改造を指示され、それが原因で肩を故障。(島野)

そのまま鳴かず飛ばずで、24試合で1勝4敗。1976年に阪急に移籍。
阪急では、同期の山田が既に90勝を上げ、大エースに成長していた。阪急でも結果を残せず1978年に引退。

どの世界でも、自分を持つ強さが求められる。

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山田には同期のよしみでよく食事に連れて行ってもらっていた。引退後、芦屋でスナックを開業した時も、仲間は店に来てくれた。だが島野は、今ひとつ肩身が狭かったという。「俺は球場では何も残せていない」という後ろめたさがあった。

そんな時、阪急がマスコット「ブレービー」の役者を募集していることを知った。表に立てずに終わった自分が裏に回ろうと心に決めて、すぐに応募した。

夏の試合、ぬいぐるみの中は40度を軽く超える。汗と泥にまみれ、一生懸命パフォーマンスをしていたが、西宮球場には閑古鳥が鳴いていた。だがマスコットの人気はあり、夏休みに観戦に来ていた親子連れが、「パパ、明日もブレービーを見に連れて行って」と言ってくれたことが何よりも嬉しかった。

阪急が身売りをしてオリックスになり、マスコットが「ネッピー」に変わってからも職を続けた。

経営しているスナックも順調なのに、なぜぬいぐるみに入ることにしたのかと記者が問うと、

同期のドラフト1位はすごい連中ばかり。それができなかった自分はこれで生きるしかないんだ。わからないだろうけどね。

との答え。

マスコットを天職と言っていた島野。イチロー人気で、グリーンスタジアム神戸が満員になった時は「少し恩返しできたね」と。

プロ野球はこういう裏方が支えている。

学生時代にアマチュアナンバーワン投手だった山田秋親の契約金問題

2000年当時、立命館大学の山田秋親は最速153kmのストレートを誇る、アマチュア球界ナンバーワンの投手として注目を集めていた。

中日・阪神・オリックスとの争奪戦の末、ダイエーを逆指名し入団したのだが、父親が週刊文春の取材に対して契約金が6.5億であったと話し、その額が球界で申し合わせていた新人の契約時における最高標準額「契約金1億円+出来高5000万円」をはるかに上回るものだったため、コミッショナーを巻き込む大騒動となったのだ。

週刊文春2000年11月23日号の記事によると、以下のやりとりがあったという。

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記者「契約金は6億5千万ですか?」
父親「そう聞いてます」
記者「支払いは分割ですか?」
父親「そういう話も出ました」

後々、阿部慎之助の契約金が10億円だったことが明るみに出たように、少なくとも当時は、裕福な球団はそのぐらいのお金を投資して逸材を手に入れようとしていたのだ。

 
それにしても、当時の山田と各球団(主にダイエーだと思うが)との駆け引きが面白い。
中日ファンの方のサイトから関連する部分を抜粋させていただく。

2000/10/24(火)
ダイエーと中日の間で争奪戦が展開されている立命大・山田秋親投手(22)だが、この日で公式戦の全日程が終了、そのまま逆指名会見が行われると思われたが、プロ入りを表明するのみに留まり希望球団については明言を避けた。ダイエー入りが有力視される山田君だが、結論は日本シリーズ終了後まで持ち越し、いまだ心が揺らいでる様子。

2000/10/26(木)
山田君の「他球団の評価を聞きたい」という裏金つり上げ作戦にまんまとはまった中日は、佐藤球団社長らが山田君と直接交渉、「機会があれば星野監督に会って欲しい」と説得した。 星野監督について山田君は 「監督には任期があるから」と、あまり監督に気にいられ過ぎると万が一高木守道や谷沢健一が監督になった場合、即座にロッテに売り飛ばされることを把握してる様子。

2000/10/27(金)
26日の佐藤球団社長に続き、この日は星野監督が山田君と交渉、「このオレが惚れこんだんだから。日本一のピッチャーにしてやる。オレが日本を代表するピッチャーに育てる!」と熱心な説得を行なった。ドラフト選手に対し監督が自ら赴くのは異例中の異例で、山田君に対する評価・期待がいかに高いかが伺える中日だが、と同時に監督が動かなければどうしようもないほど逆指名は絶望的であるという状況は、「背番号20をやってもいい」という現実的でない大風呂敷によくあらわれている。

2000/10/28(土)
山田君の逆指名会見が11月2日に行われることが決まった。山田君は希望球団について、「強くて打撃で援護してくるチームがいい」と語った。

2000/10/29(日)
山田君のダイエー逆指名が決定した。 山田君は「ダイエーか阪神かで迷ったが、ダイエーに行かないと後悔すると思い決心した」と、何と最終候補に残っていたのは阪神だったという衝撃事実を激白。「打線が援護」云々は中日を断るための方便だった事が明らかになった。「親としては中日を薦めた」(父・卓郎さん)と最後まで交渉した中日スカウトの顔を立ててはいたものの、「親会社の経営不振が心配」とカネの話を持ち出して他3球団と接触、結果、山田君の手のひらの中で転がった4球団の争いはダイエーに軍配が上がった。 逆指名会見は11月2日に行われる。

2000/10/31(火)
前日に「立命大・山田、ダイエー入りへ」と報道した舌の根も乾かぬうちに、中日スポーツが「竜、再びチャンス!立命大・山田秋親、ダイエー逆指名棚上げ!」などと言い出した。記事によると、「山田サイドがOB会側と協議する前の29日に、ダイエー入り決意を 一部の報道メディアに漏らした。これがOB会側の反発を買ったようだ」というものだが、一部メディアも何も、お前んとこの新聞やないか と中スポ読者からは総ツッコミ。正式会見があったわけでもないのに「山田、ダイエー入り決定」と30日付けの中スポで報道したその思惑は、OB会をつっつき絡め手で山田君に追い込みをかけるためだったのかどうかは不明。

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2000/10/31(火)
学生とは思えない超大物ぶりを見せていた山田君が、当初の予定通り逆指名先をダイエーに決定、忙しい中はるばる九州まで来てくれた3球団に電話で断りを入れた。

2000/11/16(火)
ダイエーを逆指名した立命大・山田秋親投手に対し、ダイエー側が提示した契約金が6億5千万円であった事を「週刊文春」が報じた。これに対し、交渉の場に直接出向いた挙句フラれた中日・星野監督は怒り心頭、「事実とすれば大変なこと。ファンも“プロ野球ってこういうものなのか”という目で見る。コミッショナーもしっかり調査せないかんよ」と、福留・川上を獲ったときの証拠隠滅は済んでるとでも言わんばかりの大胆発言で「裏金疑惑」に不快感をあらわにした。なお、この件に関してコミッショナーは「事実関係がはっきりしないし、そもそも(契約金の上限)1億というのはあくまで申し合わせ事項、野球協約に定められてるわけではない」と述べるにとどまった。

この中日ファンの方のサイトは面白い。
ダイエーが日本シリーズで2勝した後に4連敗したのや、吉永を手放したのもこのためではないかということだった。

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そして、時は経ち、NEWSポストセブンの『元SB・山田が6.5億契約金振り返り「そっとして欲しかった」』で、山田自体が騒動を振り返っている。

金額はそこまでじゃなかったですけど……。僕や慎之助は、当時の大学球界では頭一つ抜けた存在だった。だからもらって当然のような意識があった。勝手な言い分かもしれませんが、自分の中ではそっとしておいて欲しかったし、素直に野球だけを見て欲しかった

「もらって当然」。。。
なぜ自分ばかりが責められるのかという苦しみはあったのだろうが、言葉は選んだほうがいい。
活字になるとお世辞にも印象が良いとはいえない。
それも何も、その後活躍していないという事実が重くのしかかる。

女房はドーベルマン(3) その他

女房はドーベルマン(野村克也著)』より

プロ野球といえども、まずは興業であり、人気商売。巨人ファンがいればアンチ巨人ファンもそれに匹敵する数がいる。私はアンチ巨人ファンが喜び刺激を感じることは何かを考え、巨人批判、長嶋批判を繰り返してきた。

さらに、巨人を挑発した理由がもう1つある。プロ野球とは「戦い」である。
野球を試合と思っているうちはまだアマチュア。
試し合いではなく、真剣勝負。この2つでは当事者の意識が違う。

攻撃において監督としてまず考えなければならないのは、得点圏に走者を置くこと。
塁に出るのは選手の仕事だが、セカンドにランナーを進められるかどうかは監督の采配が七割以上を占めている。

日本の今の応援スタイルは、選手に感動を与えにくい。1つ1つのプレーに観客の生の反応がかえってきていない。選手の観客への反応もしかり。

試合時間の短縮、プレーのスピードアップを目的にバッターボックスを外すな、サイン交換を速くしろと言われるが、ピッチャーの制球力が下がっているのが一番の原因。

キャッチャーは完全主義者でもある。人間のやることだから完璧などありはしないと思ったらおしまいだ。常に完璧なゴールを想定し、試合後そこにどこまで近づけたか反省する。
最初は完全試合を狙い、次にノーヒットノーラン、完封。いつもそう考えていた。

断言するが、野球というスポーツの奥深さも楽しさもキャッチャーというポジションに集約されている。どんなポジションにつくにしろ、野球を志す人は、一度はキャッチャーを経験したほうがいい。

私は、技術力、あるいはパワーやスピードだけでは、野球は絶対に勝てないという考え方に立っている。技術以外の無形の力、たとえば観察力、洞察力、分析力である。

野球について考えるとは、とりもなおさず人間について考えることだと言っていい。人間について考えるとは、人間の心理や行動について考えることである。

変化球を投げる理由。
1つはストレートのスピード不足を補うため(ストレートが速ければ変化球がなくとも打ち取れる)。1つはコントロールミスで打たれる可能性を低くするため(変化球を待っていればど真ん中にストレートがいっても打ち損じる確率が上がる。また、変化球を意識させるだけで効果がある)。

進行中のゲームについて話す解説と、結果がわかったあとに責任を負って書く評論は大きく違う。

阪神監督時代

男として童貞かどうかは、案外大きな意味をもつ。井川にも童貞を捨てるよう直言した。

サッチーには、ヤクルト時代のような覇気がなくなったとはっぱをかけられていた。

東京地検特捜部の家宅捜索の際には自分のノートも持っていかれた。

阪神は、野村の今後のことを考え、解任ではなく辞任とした。

マスコミとの付き合いがいかに難しいかを実感した阪神での三年間。

星野監督は気配りができ、処世術にもたけている。

90年代ルーキー秘話

Number 774号 ルーキー秘話。~プロ野球大型新人伝説~(2011年3月10日発売) 』より。

まずは、仰木監督の野茂英雄へのコメント。
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