RSS

タグ : 日経 24件あります

「弱い自分と向き合う」工藤公康

20120828の日本経済新聞のスポーツ欄コラムより。

日本シリーズのMVPを2年連続で獲得。プロ6年目当時の私は”てんぐ”だった。ネオン街に繰り出し、ボトル1本以上あけての日帰りはザラ。練習で汗をかきアルコールを抜く日々だった。

これで成績を残せるはずがない。89年は4勝(8敗)に終わった。特に肝臓の痛みがひどく、医者からは「このままだと死ぬよ」とまで言われた。

「本当に選手生命が終わってしまう」。ビール、ブランデーなど家中の酒を捨てて家にこもったが、体調はすぐに戻らない。

スポーツ医学に詳しい筑波大の白木仁教授を訪ね、練習法を根本から教えてもらった。だが専門家の言葉が理解できない。「単にうなずいているだけなら指導を受ける意味がない」と思い、トレーニング関連の本を買いあさった。筋肉の名前や使い方を覚え、先生と同じレベルで会話しようと必死に勉強した。

「トレーニングは3年先、5年先を見据えて」が白木先生の指導。今の練習成果が3ヶ月後に表れることはない。継続にこそ意味がある。やみくもに体を動かすのでなく、「何のためのトレーニングか」の理論を学ぶことが重要だと知った。

変化は着実に訪れた。91年は16勝し、ようやく復活を果たせた。

飲みに行くのをやめ、バランス良く食事を取り最低でも10時間は寝た。規則正しい生活習慣がいかに大切かを思い知った。トレーニングはきついという次元を超え肉体の限界への挑戦となった。

若いころのどん底がなかったら、弱い自分と正面から向き合えたろうか。

29年間のプロ野球人生は悩みと苦しみの連続だったが、私にはそれが「財産」だ。今でも学び、知り、行動することの大切さは忘れていない。

「向上心 米野球に学ぶ」工藤公康

20120515の日本経済新聞のスポーツ欄コラムより。

プロ3年目、西武時代の1984年の夏に広岡達郎監督から米国行きを命じられた。向かったのはカリフォルニアにある1A、サンノゼ・ビーズ。青山道雄さんら8人ほどの武者修行だった。

私は抑えを任された。と同時にそれまでストッパー役を務めていた投手の姿がなくなった。ひとつの”場所”にはまる人が現れれば今までいた人はもういらなくなる。「育てる」なんて発想はなく、「使い捨て」といっていい環境に置かれる。選手は試合でひたすら結果を残すことに注力する。

日本での私はそのころ、朝から晩まで野球漬けの生活を送っていた。毎日20キロは走り、200球を超える投球練習をしていた。それでも「このまま終わっていくんだろうな」という不安がぬぐえなかった。日本一厳しい練習をしても足が速くなるわけではなく、スピードボールが投げられたり、コントロールが良くなったりしたわけでもない。ただ毎日の練習や試合をこなしているだけの選手だった。

今思えば、プロの練習をしていればいつか良くなるという甘い考えだった。他人にやらされるのではなく、自分から立ち向かっていかなくてはいけないのに「どうせオレなんか」とあきらめが先に立っていたのだ。

野球の本場で学んだのは、自分を高めようとする意志だった。

球にスピードがないのなら、筋力などパワーをつければいい。コントロールが悪いなら、良くするために何が必要かを考えて、まず動くことだ。とにかくやること。心の持ちようひとつで、人は変わることができる。

「真の”プロ”への道」工藤公康

20120410の日本経済新聞のスポーツ欄コラムより。

1995年のダイエーへの移籍直後は驚きの連続だった。西武では全員が「勝つために何をすればいいか」を自覚し実戦を想定して練習したが、ダイエーではキャンプから走らないし動かない。シーズン中、エラーした選手が照れ笑いでベンチに帰ってきたこともあった。思わず怒鳴ったが、当時、「勝つことの難しさ」を理屈で訴えても理解されなかったと思う。

当時、王監督は高卒で95年入団の城島健司を一人前の捕手にしたいという思いがあった。だが、若い彼はただミーティングで言われた通りにサインを出しているだけ。リードとはいえず、捕手としての意思もない。

これではまずいと思った。自分が配球まで考えないと城島にアドバイスすらできない。私は西武時代からのすべてのビデオを引っ張り出しては、毎日見直した。研究したのは打者の見逃し方、ファウルの打ち方、右打者なら右方向への打ち方など。実際の試合で試しながら失敗と成功を繰り返すうち、打者の狙い球を「感じる」ことができるようになっていった。

すべての打者に対してどんな球を待っているのか、どの方向に打ちたいのかがわかったのが99年だった。白球を放す瞬間、自分と相手のタイミングが合っていると感じてとっさにボール球にすることもできた。

城島のサインにわざと首を振らなくなったのもこの年。サインに意思を持たせ、打者の狙いを自ら感じようとしない限り、彼の成長はないと思ったのだ。

城島は見事に期待に応え、チームは優勝という美酒に酔った。

斎藤佑樹(2) プロに入って

Number 774号 ルーキー秘話。~プロ野球大型新人伝説~(2011年3月10日発売) 』より。

2010年秋のドラフトで、4球団競合の末、日本ハムに1位で入団した斎藤佑樹。
同年12月9日には日本ハムの本拠地・札幌ドームにおいて、2003年の新庄剛志以来7年ぶりの単独の入団会見が行われるなど、注目度合いは著しく高かった。

大学時代もずっと注目され続けてきたという経緯もあってだろう、彼はどんなに注目されても浮かれることはない。
少なくとも、浮かれている様を人に見せることはない。

甲子園で勝ったこと、神宮で日本一になったことは、今の自分の支えにはなってはいるが、今の自分を励ましてくれるものではない。今はもう、とにかく上しか見てない。

彼はどちらかというと、技術よりも考え方、自分の律し方という面で、プロフェッショナルだなと思わされる。

打たれたシーンはあまり覚えてない。抑えたシーンのほうを覚えている。たとえばホームランを打たれて負けたとしても、あの一発で負けたというふうには考えない。むしろ、あの一発がなければ勝てたと考える。別に、そう思おうとしているわけではなく、ホントに思っている。

続きを読む