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プレーイングマネージャーとなった谷繁元信へのインタビュー

NumberWeb上の、Nikonの双眼鏡のタイアップ記事広的なもので谷繁へのインタビューが掲載されていた。(「谷繁元信「流れを読む“観察眼”」」)

「うわーっ、プロ野球選手はでっかいなー!」
30年前、広島市民球場で生まれて初めてプロ野球選手を生で見た谷繁は驚嘆した。
「バックネット越しに見た原辰徳さんの体つきにびっくりしたんですよ。とくにふくらはぎの太さには驚いたなあ。いざ自分がプロに入って打席に迎えたときも、やっぱりぶっといなあと感じました。うちのGM(落合博満)を初めて見たときも、すごいふくらはぎだなって思いましたね。ふくらはぎの太いバッターはやっぱり飛ばします」

確かに、近くでプロ野球選手を見ると、その大きさもさることながら、何よりも、その”厚さ”に驚かされる。

ピッチャーが不調のときは、よかったときの映像を頭の中で呼び出して再生し、ずれているポイントを見つけてアドバイスする。相手打者に対しても、打席の入り方、力の入り具合、タイミングの取り方を観察し、狙いを見抜く。

何千回、何万回と映像を見て、それを自分の中に貯めることで、試合が見えるようになってくる。昔は頭が高速で動いてポンポン早いタイミングでサインを出せる期間というのが1カ月くらいしか続かなかったのが、いまは1年間を通してフラットにその状態を維持できるようになってきました

栗山も言っていたが、キャッチャーは経験を積めば積むほど能力が高まっていくということ。

僕は常にピッチャーが投げやすいように、審判が見やすいようにって心がけながら、一球一球集中してキャッチングしています。他のキャッチャーと比較して見てみてください。たとえば、ワンバウンドの止め方ひとつとっても、選手によって動きがぜんぜん違います。膝を落とすのが素早い人もいれば、上体だけで止めに行く人もいる。パッと判断してボールの軌道に入っていく上手さは、意識してないと気づきにくいポイントなので、ぜひ注目してほしいですね

谷繁が佐々木のフォークを捕るために猛練習した話は有名だが、今もそこは大事にしていることがわかる。

なお、蛇足ではあるが、Nikonの双眼鏡とこの記事との関連のなさ加減は凄まじい。

糸井重里さんと原辰徳監督の対談より

ほぼ日刊イトイ新聞で連載されていた、糸井氏と原監督の対談『プロ野球選手の孤独。』が面白い。

ほぼ日の野球関連の記事は、いつも野球愛に溢れていて、味がある。
かつ、勉強になる。

 
原監督が現役の頃と今との違いについて。

我々の時代と違うのは、まず、「ポストシーズン」という区切りが制度としてしっかりしているということですね。
我々のころは、1月7日、8日、というあたりから「自主トレ」という名のもとに、多摩川でふつうにチームとしての練習がはじまっていたんですよ。
 
それが、12月1日から翌年の1月いっぱいまでは、コーチは指導してはいけない、という規約が(※1988年に)できて、「ポストシーズン」というものが確立された。

 
これにより、その2ヶ月間は個人でトレーニングせざるをえなくなり、各選手がオフをどう過ごすか考えるようになったと。

それと同時に大きいのは、やはりアメリカ、メジャーリーグというものが非常に身近になった。
 
そこで、夢が底上げされたというか、自分のポテンシャルというものを非常に追求する選手が多くなったんですね。
それまでは、野球選手の最高到達点というのは、日本のプロ野球チームのなかでエース、あるいは四番バッターというような位置だったものが、もっともっと力をつけて、メジャーリーガーだとか、あるいは日本代表チームに入るというふうに、非常に、こう、世界が広がったわけです。

その後、二人の話はチームプレーと個人の技量の話に移るのだが、その中で糸井さんが面白い発言をしている。

解説者の方なんかがよく言う、「最低でも右打ちしてランナーを進める」。
その「最低でも」という言い方が、ぼくは常々疑問だったんですよ。

すると、原監督も即座に同意。

ぼくも疑問に思いますよ。
「なんで、ここで外野フライも打てないんだ」
とかね。
 
「最低でも、ここは右打ちで、ランナーを」。
そんなことできるんだったら、ヒット打てますよね。
ぼく、いっつもそう思う。
 
だから、野球って、なんていうか、難しい。簡単そうで、難しい。
 
難しいんだけど、簡単に見えるのが野球なんですよね。

いや~、自分もテレビ中継見ながら、最悪でもランナー進めろよ!って言ってるなと反省。
そんな簡単じゃないんだよと。

そして、この対談のタイトルにもなっているテーマへ話は続く。

たとえばバントとか、スクイズとか、あるいはエンドランとか、そういう、チームプレーとして動く戦術、これは成功するにせよ、失敗するにせよ、動いてもらわないと困る。
でも、それ以外は「任せた」っていう、ね。
 
やっぱりもう、個人なんですよ。
 
打席に立ったら、マウンドに立ったら、孤独です。
しかし、孤独のときに、どういうふうに、いいパフォーマンスができるか。
というのが、やっぱり、日頃の練習であり、日々、コーチが伝えようとする技術であり。

そういう意味で、最後はチームじゃなく個人の力量が大事だという話。

 
孤独という話から派生して、WBCをはじめとする、混成チームのメンバーが、最初、それぞれが孤独で、硬いという話へ。
その実感は、原監督が高校時代に全日本チームに選抜されアメリカに遠征にした時に感じたことが原点となっているという。

それまでの野球といえば、いつもチームメイトといっしょでした。
なにか、チームメイトといると、自分も強く感じる。
 
チームの中に自分が融合して、知らず知らずに自分自身を大きく感じることができていたわけです。
それがひとり、ぽんっと放り出されて、日本代表というチームに入ったときにすっごく孤独感がありました。
 
いままでのプレーを果たして自分ができるだろうか、という不安が出てくる。
しかし、一度チームに溶け込んで、みんなと汗を流し、自分がもといたチームと同じような気持ちになれると、今度は、日本代表という非常に高いステージでやれてるという部分で、逆にもっと自分の力が出るんですよね。

これは、非常にイメージしやすく納得できる話。

原監督は続ける。

だから、WBCの日本代表チームも、そういうふうな、ひとりひとりがチームに融合するような環境にすることが大事だと思うんです。

この発言だけで、チーム作りをどうこう言えたものじゃないだろうし、優勝した結果論の部分もあるだろうが、第二回WBCのチーム作りはうまくいっているように見えた。

 
話はWBCの話になり、原監督は勝ち負けについては特に考えなかったと言い切る。

「勝つ」という以外ない。
「負ける」なんていうのは、頭の片隅にもなかった

そう考えられるメンタリティが凄い。

しかし、その、「戦いざま」というものに対しては気をつかいました。

大会がスタートしたら、そのあとの筋書きがどうなるかというのは、これはもう、誰にもわからない。

思ったのは、「27のアウトを取る」こと。
あるいは、「27のアウトを取られる」こと。
というなかで、どうやって進めていくか。

その、アウトの取り方と、アウトの取られ方においてはやっぱり、きちんと理にかなった、率の高い方法で、進めていかなくてはならないと、そういうプレッシャーはすごくあった

糸井さんが、そのプレッシャーに打ち勝つ支えは何だったのかと尋ねると

高校、大学と、野球をずっとやってこられたこと。
そして、ジャイアンツという球団で、四番として、
まがりなりにも長い年数、戦うことができた。
それから思えば、こんなことは、
なんというかな、まだラクだと。

そのキツい経験の中で、特に、高校時代とジャイアンツの4番時代をあげている。

高校の3年間。その、やってる最中はね、「プロ野球選手になりたい」という、夢に向かってやってるから、なんてことはないんです。あとで思うと、あれが支えになっているという感じです。

あとは、ジャイアンツというチームの四番を打っていたという経験ですね。
 
キツい試合のあと、寝て、朝、目が覚めて、「また試合だ‥‥」と思う。
しかし、それは、ぼくが自分で「四番を打ちたい」と望んでやってきたことですから、それを思うと、やれるんです。しかし、あとで思うと、なかなかね(笑)。

高校時代の原さんは知らないが、ジャイアンツ四番時代の苦しんでいる原さんは記憶に鮮明。
それが礎になっているんだなぁ。

 
2012年のシーズン、原監督率いるジャイアンツは、交流戦、ペナントレース、クライマックスシリーズ、日本シリーズ、アジアシリーズ、すべてに優勝し、5冠を達成した。
難しいのは、その翌年。
この年を、どういうふうに気持ちを切り替えて、あるいは高いモチベーションを維持したままで戦っていくんですかと尋ねると。

いつもは
「昨年は昨年、今年は横一線からのスタートだ。 切り替えて行こうじゃないか」
というふうなことで、スタートしていくんです。
 
実際、前回(2009年)、前々回(2002年)と日本一になったあと、
そういうふうに言って切り替えていったんですが、連覇はできなかった。
 
相手はジャイアンツに勝つことをはっきりと目的にして向かってくるわけですから、優勝した翌年というのは、1試合1試合が、よりハードになってくるわけですね。
 
そういうことを十分にわかったうえで、しかし、それを跳ね返すんだと。
そのつもりで戦おう、と選手たちには言いました。
立ち向かってくる相手を跳ね返して、「連覇を意識しよう」と。

監督になった後も、毎年毎年成長していることが伺える。
敵からしたらホント嫌な相手だろう。

 
気持ちの切り替え、持ち方という意味で、例えば連敗中などチームの調子が良くない中、明日も試合をしなきゃいけない監督って、なにをどう思ってるんですかと問うと

プロ野球のペナントレースっていうのは、非常に長丁場ですし、その前の日のゲームで負けていても、もう毎日のように、試合、試合なわけです。
それも、ゼロ対ゼロの状態からのプレイボールで、いつもゼロからはじまるわけですよね。
そういう点では非常に新鮮ですよ。
 
でね、シーズンも終盤になって、やっぱり致命的な敗北をすることはあります。
「あ、今日負けたらペナントレースは終わるんだな」
というゲームを迎えることは、あります。
 
ほんとうに、そのシーズン、勝てなかったと、確定してしまう試合がくる。
そのときに、がっかりすればいい

どのスポーツでも当て嵌まることだが、負けを引きずらない、気持ちを切り替えられる人じゃないと、良いパフォーマンスは出し続けれられないってこと。

最後に、糸井さんから「勝ったときに学ぶことは少ない」というけれど、勝っても学ぶことっていうのは多いですよねと問われると

学ぶものが、すごくあります。
あるけれども、勝ってしまったうれしさで、その、学び取るべきものをすーっと通り過ぎるケースはありますね。
 
やっぱり、考えるんだったら、勝ったときも負けたときと同じように、考えたほうがいい。

おっしゃるとおりで。調子が良いときほど考えなくなるのは仕事でも同じ。

今回も学びの多い特集だった。
ほぼ日さんに感謝。

80年代ルーキー秘話(1)

Number 774号 ルーキー秘話。~プロ野球大型新人伝説~(2011年3月10日発売) 』より。

定岡正二 & 西本聖

西本は1年目からきれいに勝とうなどとは考えていなかった。内角を抉るシュートを覚えると、多摩川のブルペンでの居残り練習で完成度を高めていく。一方の定岡はスライダーを主体にしたきれいなピッチングにこだわった。

ライバルに闘争心を燃やして人一倍努力し、実力を高めていく西本聖。
今の時代にはなかなかここまでの人は現れない。

江川へのライバル心にはついては、「二人のエース<江川卓vs西本聖>」で触れられている。

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原辰徳 & 篠塚利夫

原が守ることになったセカンドは、一つ年上で高校時代から仲の良かった篠塚と同じポジション。「2人を競い合わせて育てていく」と藤田監督は強調したが、気のやさしい篠塚はライバルの原に対しても「巨人のしきたり」を何くれとなく教えた。のちに中畑の故障で原はサードに転向することになるが、監督就任後も「あの時の恩は忘れない」と篠塚の面倒を見た。

確かに、原が初めて監督となった2002~2003年は、前年までの長嶋ジャイアンツのコーチだったこともあり篠塚はコーチを継続。2003年シーズン終了後に二人とも解任され、第二次原ジャイアンツが2005年シーズン後に発足すると、篠塚もコーチとして復帰している。

荒木大輔

神宮球場での練習には女学生が押しかけ、選手たちはろくろくトイレにも行けないほどだった。そんな選手たちの苦情を聞き入れた球団は、混乱回避のために球場と選手サロンとの間にトンネルを建設。このとき作られた地下通路は通称「荒木トンネル」と呼ばれ、現在も当時のままに残されている。

その荒木トンネルの写真がこちら。
arakitonnel

藤王康晴

地元・中日に請われて入団した享栄高の藤王は、先輩の田尾や藤波らに可愛がられ、よく飲みに連れて行かれた。1年目で34試合出場、打率3割6分1厘は立派だが、地元ファンの贔屓の引き倒し、18歳の若さゆえに夜の練習よりも夜の街に溺れてしまった。

新人で背番号1を背負っていたし、名前もなんだか強そうな名前で、子供心に強く印象に残っている選手の一人である。

糸井重里とスポーツ記者赤坂英一の対談が面白すぎる

ほぼ日刊イトイ新聞で8回にわたって連載されていた、糸井さんとスポーツ記者である赤坂氏の対談『こういうやつが、いたんだよ。』。

赤坂氏の著作『キャッチャーという人生』にまつわる話が多いが、とにかく面白くて、この本もつい購入してしまった。

この本を読んでの糸井さんのキャッチャーへの印象。

村田選手って、けっこうしゃべるんですよね。
ちょっと不器用なイメージがあるから、寡黙な感じがしないでもないけど、ちゃんとことばにできる人、というか。

そんなに言葉にできる人、なかなかいないですよね。
語ってる思い出話も全部的確だし。

キャッチャーってとにかく、記憶の塊ですよね。

キャッチャーというのは、「ことばの人生」なのかもしれないですね。

続いて、巨人が西武に4連敗した1990年の日本シリーズについて、今はいずれも監督となった原辰徳、渡辺久信に訊いた時の話。

巨人では、西武の情報をいっぱい与えられたんですって。
詰め込まれすぎた結果、かえって萎縮しちゃった。
でも、西武ではそうじゃなくて、いろんなデータがそろっているなかで首脳陣が取捨選択して、「これだけを覚えればいい」という情報だけを伝えたそうなんです。

でも、いまはまったく逆で、全部詰め込めばいいんですって。
なぜかというと、いまの選手は小さいころから携帯電話があったりパソコンがあったりと、情報の洪水の中で育ってる。
要するに、昔の選手たちとは情報処理能力がぜんぜん違うわけです。
だから、思ったこととか感じたこととか全部、言ってやりゃいいんだと。

さらに、西武の打撃コーチのデーブ曰く

俺たちだったら、一度にあんなにいろんなこと言われたら大混乱したと思うんだけど、片岡とか栗山なんかは平気で全部吸収しちゃう

続いて、赤坂氏が敬愛する藤田元司について。

村田にインタビューしてるとね、藤田さんのことをしゃべりだすと止まらなくなるんですよ。
で、内部の話ですから、おおっぴらにしゃべっちゃいけない話もあるんです。
たとえば、藤田さんがどんなふうに自分をフォローしてくれたか、とかね。
藤田さんが選手に謝っていた話とかね。
話しはじめるとあふれちゃうから、必ず「ちょっと止めてくれる?」って録音を止めさせるんですよ。
こっちとしては、総合的にとってもいい話だからそれは書いたほうがいいんじゃないかって思うんだけど、「それは書いたらあかん」の一点張りで。

藤田さんにまつわるそういう話は、たとえば水野に聞いても出てくるんですけど、やっぱり「書いてくれるな」って言うんですよ。

それは、尊敬ですよね、藤田さんへの。

それほど尊敬されている人物だとは知らなかった。

糸井さんも藤田氏とは親交が深かったとのこと。

「人間は間違うんだから、年上とか年下とか関係なくちゃんと謝らなきゃダメだ」って話は藤田さんからうかがったことがあります

水野が語った話で特に印象深い藤田氏の話。

1990年の開幕戦。
篠塚さんがポール際に打ったホームランがファールかどうかでもめた試合です。

あれで同点になって、けっきょく延長12回まで行くんですけど、あの試合の先発は斎藤。
で、7回から延長12回まで、ひとりで投げてたのが、じつは水野なんですよ。

誰も覚えてないでしょう?

でも、藤田さんは見てるんです。
開幕戦の延長を抑えてくれた水野を見ていて、覚えていてくれるわけですよ。
そういう使われかたをしてもくさらず、ずっと投げているから彼は一軍から落とされない。

水野曰く

藤田さんと過ごした3年間、あれがあるとないとでは、
ぜんぜん違った野球人生になっただろう

このように藤田氏の影響は今の首脳陣世代に強く残っていると。
そして、特に原に藤田の影響を強く感じると二人は言う。

糸井さん

たとえば、試合後のコメントで、若い選手にわざとキツい言い方をして、ネジをぎゅーっと締めるところとか。
かと思うと、成績としてはよくなくても、「ああいうことでいいと思います」
結果じゃない部分を評価したりとか。

赤坂さん

あとよくやるのが、二軍から上げたばかりの若手をすぐに使う。
で、うまく活躍したときに、ほめたいと思うんですよ、ほんとは。
だけど、それを押し殺して、
「まあ、今日のところは、日々の彼の練習がいい結果につながった、というところまでしかコメントできませんね、監督という立場では」という感じで。

記者の立場としてはね、「またつまんないこと言ってる」って思うんですけど、よく考えたら、藤田さんも、なんにも言わない人でしたよ。
斎藤をあれだけの大投手に育て、ときに槙原を抑えに回し、桑田を再生し、っていう中で、「俺がああしてやったから」とか「彼らは立派だ」とか、なんにも言ってないんですよね。

藤田さんがなにか気の利いたコメントを残したとかね、名言を残したとか、ちっとも印象にないんです。

話は谷繁の話題に。上記の著作の中に登場する選手の中で図抜けた才能を持っていたと。

「持ってる」人ですよね。
たとえば村田、大久保っていうのは、逆にいうと、なにも持ってない人たちで、そこから、ないところを埋めて、上がっていった人たち。

これに対して、糸井さんが好いことを言っている。

そういう、天性のものを持った人と、そうじゃない人が混ざって存在しているのがプロ野球という世界。

そのへんのおもしろさというのは、お客さんも自然に感じるんでしょうね。
野球に限らず、その不均一なところがスポーツのおもしろさじゃないかなぁ。
いや、スポーツだけじゃなくて、どの社会もそうなのかもしれない。

赤坂氏の次の著書である二軍監督の話へ。
まずは小ネタで、巨人の岡崎。どうやら喧嘩が強いと有名なんだとか。

なんだか有名なんですよね。
でも、そうは見えないじゃないですか。
でも、当時、寮に入った若手は必ずその強さを垣間見た、という。

そして最後に、2008年の西武vs巨人の日本シリーズでの渡辺監督の采配に関して。

去年の日本シリーズの第7戦。
片岡がデッドボールで出て、走って、送って、中島の内野ゴロで同点に追いついた場面がありましたよね。

デーブと会ったとき、あの場面についての話になったんです。
渡辺監督や片岡、栗山、中島たちと、どんな話をしていたのかと。

巨人のマウンドにいたのはあのシリーズで絶好調だった越智で、正直、片岡は手も足も出ない。
そこでデーブと渡辺久信は「当たってください。当たってでも出てください」と選手たちに言ってたらしい。
そしたらインコースに来て、片岡はヒジに来たところを後ろによけずにゴーンと当たった。で、その瞬間に、「よっしゃ!」ってガッツポーズ。

で、つぎは2番の栗山。
回も詰まってるし、セオリーなら、そこで送りバントだと思うんです。
でも、デーブはこう言うんです。
「監督が送りバントのサイン、出さないんですよね」って。
かといって「打て」のサインも「走れ」のサインも出さない。
どうしたかというと、片岡が走るのを待ったんです。

あの年の西武って、「好きなときに走れ」っていう野球なんですよ。
攻守全体にわたってそういう感じで、チームバッティングで右打ちさせたりもしない。
「思い切って引っ張れ!」っていう野球でそれまで勝ってきたチームなんです。
だから、片岡に「任せちゃおう」と。
で、実際、片岡は初球に盗塁決めちゃうんです。

ただ、それは、監督が動かしたわけじゃないんです。
「どうせ走るから、任せちゃおう。ほら、走った」という流れなんですね。
あとで渡辺監督がデーブに言ったのは、
「いやぁ、送りバントも当然考えたけど、片岡のガッツポーズを観た途端、おれの頭の中からそのサインが消えたんだよ」と。

そして、バッターは3番の中島ですが、じつはあの時点で手首と脇腹を痛めてて、外野フライも期待しづらい状態だった。
だからもう、片岡の足に期待して、内野ゴロ打たせて本塁に突っ込ませるしかない。
最悪ライナーでゲッツー、ホームゲッツーもある。空振りもある。
でも、ここはサインを出して中島が叩きつけるのに期待して、片岡を走らせる。

ふつうに考えたら、リスクが高すぎると思いますよ。
でも、渡辺監督はそういうことをやっちゃえる監督なんですよね。

いや~内容が濃い対談、本当に楽しませてもらった。