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昭和43年巨人ドラフト1位 島野修の生き方

NEWSポストセブン『巨人ドラ1選手が他球団マスコットの「中の人」になった経緯』より。

島野氏の名前は記憶の片隅にあるかなという程度だった。

「黄金のドラフト」といわれた1968年。
山本浩二(広島)、星野仙一(中日)、田淵幸一(阪神)、山田久志(阪急)といった錚々たるメンバーが連なる中、巨人が1位指名したのが島野修。

神奈川県武相高校出身。高校時代は2年連続甲子園に出場。
県予選ではノーヒットノーラン、18奪三振を記録した右腕投手。

当時巨人は田淵を狙っていたが阪神に奪われ、島野を大洋に持って行かれるならばと指名したのだった。球界では驚きの指名で、巨人入りを希望していた星野が「島と星の間違いじゃないか」と言ったというエピソードは語り草である。

さすが星野さん、当時から瞬発力のある言葉を残している。

ドラフト1位ということで周囲からいつも見られているプレッシャーがあった。1年目に1勝を上げると、もっと良くなるとフォーム改造を指示され、それが原因で肩を故障。(島野)

そのまま鳴かず飛ばずで、24試合で1勝4敗。1976年に阪急に移籍。
阪急では、同期の山田が既に90勝を上げ、大エースに成長していた。阪急でも結果を残せず1978年に引退。

どの世界でも、自分を持つ強さが求められる。

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山田には同期のよしみでよく食事に連れて行ってもらっていた。引退後、芦屋でスナックを開業した時も、仲間は店に来てくれた。だが島野は、今ひとつ肩身が狭かったという。「俺は球場では何も残せていない」という後ろめたさがあった。

そんな時、阪急がマスコット「ブレービー」の役者を募集していることを知った。表に立てずに終わった自分が裏に回ろうと心に決めて、すぐに応募した。

夏の試合、ぬいぐるみの中は40度を軽く超える。汗と泥にまみれ、一生懸命パフォーマンスをしていたが、西宮球場には閑古鳥が鳴いていた。だがマスコットの人気はあり、夏休みに観戦に来ていた親子連れが、「パパ、明日もブレービーを見に連れて行って」と言ってくれたことが何よりも嬉しかった。

阪急が身売りをしてオリックスになり、マスコットが「ネッピー」に変わってからも職を続けた。

経営しているスナックも順調なのに、なぜぬいぐるみに入ることにしたのかと記者が問うと、

同期のドラフト1位はすごい連中ばかり。それができなかった自分はこれで生きるしかないんだ。わからないだろうけどね。

との答え。

マスコットを天職と言っていた島野。イチロー人気で、グリーンスタジアム神戸が満員になった時は「少し恩返しできたね」と。

プロ野球はこういう裏方が支えている。