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カテゴリー : コラム 28件あります

アスレチックスの対ダルビッシュ戦略で驚いたこと

対ダルビッシュで通算7勝1敗の圧倒的強さをほこるオークランド・アスレチックス。

Number Webの 『対ダルビッシュ通算7勝1敗の秘密。アスレチックスが徹底する「待ち」』 に興味深い記述が。

アスレチックスのメルビン監督曰く

打席では我慢強く、自制心を発揮する必要がある。手を出したくなる球があっても、序盤は打線全体として相手投手に球数を投げさせる。ただ、これは選手に教えるのが難しい領域の話で、全員が同じように出来るとは限らない。だからこそ、メジャーで教え込むというより、高校、大学レベルからもともと我慢強い選手を見つけて、獲得するようにしているんだ

待ち球戦略なんて今さら驚かないが、プロに入って教え込むのではなく、プロに入る前からそういう選手を探しているというのは驚きであり、アスレチックスらしさなのだろう。
まさに、マネーボール理論そのもの!

リーグ優勝の翌年、リーグ最下位へ転落したチーム

本日の日経朝刊に掲載されていた、スポーツライター浜田氏のコラムより。

リーグ優勝の翌年、リーグ最下位へ転落したチームは意外と少なく、今まで4例しかない。

61年の大洋、79年のヤクルト、81年の近鉄、そして2013年の日本ハムである。

先の3チームの監督は、三原脩、広岡達朗、西本幸雄といずれ劣らぬ名将揃い。名将といえど転げ落ちるチームを止めるのは至難の技ということだろう。

3球団にそれぞれの事情があったが、内部に大小の不協和音が生じていた点で共通していた。
優勝すると選手の年俸は上がる。期待したほど上がらない選手が不満を抱き、覇気を失う。
また、年俸総額が上がるため、補強費をついケチりがちになる。

年俸を含めたモチベーション管理の難しさがよくわかる。

大洋については、”三原マジック”の知将ばかりが脚光を浴びることへのジェラシーがあった。ヤクルトでは大胆なトレードを望む広岡と、家族主義を掲げるフロントが対立した。近鉄では、西本の後継監督を巡る綱引きがあった。

最下位の翌年に優勝した例はいくつかあるが、優勝⇒最下位⇒優勝という例は一度もないという。
果たして、今年の日ハムはどうだろうか。

もう一花咲かせてほしい松坂大輔

Webスポルティーバの「楽天・立花球団社長が語る「大物メジャーリーガーを獲れる理由」」に、楽天に入団したユーキリスが話した松坂の印象が載っていた。

すごくいいヤツだし、好きだけど、メジャーで成功しなかった理由は、一生懸命投げすぎるからだと。野球のシーズンは長いし、ずっと100%で投げることは不可能。ハイパフォーマンスを出すためには、バランスを取ることが重要だ

松坂よ。
もう一花咲かせてくれ。

インステップを修正しようと試みる藤浪晋太郎

Webスポルティーバでの津金一郎氏のコラム「スーパーエースへ。藤浪晋太郎は昨年より進化しているのか?」より。

藤浪がインステップする投球フォームを修正しようとしている。
(※スポニチのサイトにも2013年11月にフォーム矯正に取り組む写真が掲載されていた。)

インステップとは、クロスステップとも言い、右ピッチャーならば、ついた左足が三塁側に流れることを言う。

金村義明によると、

藤浪のインステップというのは、右打者にとっては本当に怖いんです。頭の後ろを狙われている感じがするので、打者は簡単に踏み込めません。

とのこと。

そんな大きなメリットがありながら修正しようとしているのは、インステップでよく言われる、体が横回転になるから故障しやすいというのが一点。

そして、もう1つが、

真っすぐがシュート回転しやすく、左バッターに怖さを与えることができない

点だと考えられている。

斉藤和巳も

足を真っすぐ踏み出した方が腰の回転がスムーズになり、リリースポイントが安定します。そうすることでシュート回転するボールが減り、思ったところにコントロールできるようになります。特に、左打者の膝元にコントロールできれば、カットボールやスライダーといった変化球も生きてくる

と言う。

2013年シーズンの藤浪は対右打者の被打率.194に対して、左打者には.283と打たれている。

この修正で左打者にも打たれなくなれば、真のエースになりえるのではなかろうか。

ちなみに、最近では少なくなったが、80年代には、特に左のサイドスロー投手には極端なインステップの投手がいた。元西武の永射保と元ヤクルト梶間健一などがそうだ。

普通の投手以上に身体を気遣わねばならないが、彼らのような変則投手にとっては大きな武器となったのだろう。

投手に言いなりのリードと酷評される鶴岡慎也に奮起を期待

Number Webの永谷氏のコラム『正捕手鶴岡を手放した日ハム、異例の決断のワケ。~横浜高出身3年目、近藤への期待~』より。

近藤健介が期待されているという話は、彼が昨シーズン、場に慣れるために外野手として抜擢されたという話でも知っていた。

 
それはいいのだが、この記事では、放出された鶴岡への評価が厳しいことに驚いた。
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MLBの奥さま会・婦人会なるものについて

日刊ゲンダイの 『里田まいは大丈夫? 田口壮夫人が語るメジャー「奥さま会」の洗礼』 より。

メジャーには各チームに「Wives Group」と呼ばれる、婦人会が存在し、その活動がなかなか大変だという話。

頻繁に行われる球団主催の「チャリティー活動」では、選手に代わって夫人自らが球場内を周回。ファンに直接、サインボールなどのグッズを手売りする。球団主催のパーティーには夫と共に出席、そこでは社交性も求められる。

調べてみると、イチローの妻、福島弓子氏が募金集め活動に参加している写真が何枚か見つかった。
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日本ではこんな姿は見たことがない。
そもそも、もともと有名だった人でない限り、奥さんが表舞台に立つことはほぼないだろう。

3.11の時は、ツインズの婦人会が義援金を集めたほか、ハンカチやTシャツを販売しアメリカ赤十字を通じて被災者へ収益を全額寄付したことで話題になっていた。

チャリティ活動はまだいいと思うが大変そうなのがこれ。

年間数億円、数十億円を稼ぐ選手の妻たちが仲間内で派手なパーティーを開いたり、連れ立って高級ブランドを買いに行くショッピングツアーを企画することもしばしば。時には夫人らがお金を出し合ってチャーター機を手配、遠征先に乗り込むこともある。アメリカではメジャー選手の奥さんも「チームの一部」。身につける貴金属や服装も「身分相応」が求められ、それができなければ、横のつながりが強いメジャー夫人たちの中で浮いてしまう可能性もある。

合わない人は苦労しそうだ。
ふと、ドラマ半沢直樹での婦人会の集まりの様子を思い出した。

なお、田口壮の妻、恵美子さんの著作によると、選手がトレードで移籍すると、婦人会が移籍先の婦人会にその選手家族をよろしくと連絡を入れることもあるそうだ。

早くその覚醒した姿を見せてほしい 中村剛也

Number Webでの中村計氏のコラム「清原、秋山、石井を越えるその才能。中村剛也が60本打てないはずがない。」より。

西武の前バッテリーコーチの光山英和は、中村を評してこう言う。

今まで清原とか、秋山さんとか、石井さんとか、いろんなホームランバッターを見てきたけど、ホームランを打つことに関しては、あいつが断トツ。ボールの飛び方がぜんぜん違う。ちょっと次元が違うね。ああいうのが、ほんまのホームランバッターって言うんやと思う

ホームラン打者にとっては、いかに楽に打席に入れるかが大事だという。

ブランコが、中日からDeNAに移籍した2013年序盤にホームランを量産した理由は、前打撃コーチの高木豊によると

球場が狭くなって、ボール球を振らなくなった。中日時代は球場が大きいので、振らなきゃいけない、というのがあったんだろうね

また、バレンティンが覚醒した理由も似ており、ヤクルト打撃コーチの池山隆寛によると

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最初の何本か、立て続けに右方向へホームランを打った。それで『今年のボールは飛ぶ』と。あれで心理的に楽になったんだと思う

中村も2011年に、似たような話をしていたという。

飛ばない、飛ばないっていう報道がバンバン出ていたので、自然と力んでいた。でもあるとき、詰まっても飛ぶんだなというのがわかった。そこから打席の中で余裕を持てるようになった

その結果、飛ばないボールを使っていたにもかかわらず、48本ものホームランを量産した。

千葉ロッテの井口によると、同じホームランバッターでも中村とジャイアンツの阿部慎之助では全くスイングが違うという。

おかわり君は、ぜんぜん振ってるように見えないんですよね。かるーく振ってる感じ。それできれいにバットにボールを乗せて運ぶ。あれはなかなかできない。慎之助なんかは、ブンブン振ってるように見えるからね

中村自身も

最低限、振れる力で振りたい。7割、8割ぐらいの感覚ですかね

と語っている。

さらに、バットの材料の違いにも中村の打撃の特徴がよく表れている。
バレンティンはメープルの中でも特に硬質な素材を好んで使っているのに対し、中村はメープルは反発するからとしなりがきくアオダモにこだわる。

バットに長い時間、ボールが接地している感覚を大事にしたいんです。どれだけバットをしなやかに、やわらかく使えるか。それを追求してる。僕はパワーではなく、技術で打ってると思ってるんです

やわらかくしなやかに振るという意味では、引退した広島の前田にも通じるところがあるように思える。

メジャーNo.1ストッパーと言っても過言ではない上原浩治

Nuber Webでの小川勝氏のコラム『上原浩治の制球力。~MLBで図抜けた「K/BB」「WHIP」~』より。

ここに、2013年米大リーグ セーブ・トップ10と上原浩治の投球成績比較表が載っているのだが、この内容を見れば、いかに上原が凄いかがよくわかる。

選手名(所属) 試合 回数 勝 敗 S 三振
――
四球
WHIP 防御率
(1)J・ジョンソン(オリオールズ) 74 70 1/3 3 8 50 3.11 1.28 2.94
     C・キンブレル(ブレーブス) 68 67 4 3 50 4.90 0.88 1.21
(3)G・ホランド(ロイヤルズ) 68 67 2 1 47 5.72 0.87 1.21
(4)M・リベラ(ヤンキース)    64 64 6 2 44 6.00 1.05 2.11
(5)J・ネイサン(レンジャーズ) 67 64 2/3 6 2 43 3.32 0.90 1.39
     R・ソリアーノ(ナショナルズ) 68 66 2/3 3 3 43 3.00 1.23 3.11
(7)A・リード(Wソックス) 68 71 1/3 5 4 40 3.13 1.11 3.79
(8)G・バルフォア(アスレチックス) 65 62 2/3 1 3 38 2.67 1.20 2.59
     S・ロモ(ジャイアンツ) 65 60 1/3 5 8 38 4.83 1.08 2.54
     A・チャップマン(レッズ) 68 63 2/3 4 5 38 3.86 1.04 2.54
(27)上原浩治(Rソックス) 73 74 1/3 4 1 21 11.22 0.57 1.09

リベラやホランド、ネイサンといった錚々たるクローザー連中を明らかに上回る数字を残しているのは誇らしい。ブラボー!

多くを語らない”前田”を演じる前田智徳

Number Webの中村計氏のコラムに前田に関するものがあった。
(『前田智徳の佇まいに高倉健を思う。「不器用」を演じるという愛され方。』)

前田は年に数度、契約更改のとき等、決まったタイミングでは、きちんと記者に対して自分の考えを披歴した。だがそれ以外、特にシーズン中は、記者に対し、打っても打たなくても「勘弁してください」と固く口を閉ざした。晩年は、記者たちもそれを知っているがゆえに、ほとんど近寄らなかった。

「勘弁してください」と話している姿は確かに記憶にある。
しかし、自分の考えを披歴することもあったのは知らなかった。

2006年4月号の『野球小僧』でインタビューの冒頭、今号の表紙に起用させてほしいと申し出た記者に対し、前田はこう返している。

「イメージどおり、悪がきでいってください。ええ、もう愛想悪い感じでいってください」

 二人のやりとりは、こう続く。

「そういうイメージで周囲が見ているように感じますか?」

「一応、ユニホームを着てる時はそういうイメージを作るつもりでやってきたんで」

「つもりっていうことは、多少は前田智徳を演じてる部分もあるということですか?」

「それはありますよ!」

寡黙な求道者然とした”前田”を自身も演じていたと。

広島の地方雑誌『Athlete』の2013年11月号では、元プロ野球、高森勇旗が寄せた記事の中にこんな一節が出てくる。

〈実は前田さんはしゃべり始めると止まらないし、ユーモアのセンスも抜群にある。とにかく、トークがめちゃくちゃ面白い。特にゴルフの話になると目を輝かせて話し、前田さんが「師匠」と仰ぐプロゴルファーの田中秀道さんが激励に訪れたときなどは、もの凄いテンションだった〉

トークが面白い前田って想像がつかないな。
以前何かの映像で凄いフォームで振っているゴルフシーンを見たことがあったが、結構ハマっていたとは知らなかった。

語らないからこそ、興味が湧く。
まさに”沈黙は金”を体言するような選手。

日航機墜落事故にこんなエピソードがあったとは

MSN産経WESTの『ナイン搭乗機が墜落、6連敗で首位陥落…号泣の日本一の背景』より。

当時サンスポの記者だった植村徹也氏のコラム。

私が阪神担当になったのは1984(昭和59)年の晩夏。当時は安藤統男監督が成績不振にもかかわらず、留任が一度は発表され、その後、不可解な辞任発表があったまさにその時でした。

次期監督を巡る関西のスポーツ紙の報道は過熱する一方でした。村山か? 吉田か? 歴史的に振り返るとそんなムードだったと思うでしょう。でも、当時は違いました。筆頭候補だった西本幸雄さん(阪急や近鉄を鍛え、優勝させた監督)が監督要請を辞退し、いつ村山さんに監督要請が来るのか? 注目はその一点でした。だから、当時、勤めていた夕刊紙では村山番を命じられ、芦屋・精道町にある自宅に張り付く日々でした。

安藤さんが辞める時も一悶着があったのか。

翌1985(昭和60)年、結果として2度目の監督に返り咲いた吉田義男監督の下、阪神は開幕ダッシュに成功しました。波に乗ったのは4月16日から本拠地・甲子園球場で行われた巨人3連戦でした。第1戦、佐野の打ち上げた中堅前の打球を巨人・河埜が落球し、そこから怒涛の攻撃で10-2の大勝。そして、続く17日、今や伝説になったバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発。翌18日の試合にも勝ち、巨人戦に3連勝して、世の中に猛虎フィーバーが巻き起こりました。

てっきり5月だと記憶していたが、伝説のバックスクリーン3連発は4月だった。
河埜のエラーが未だに語り継がれてしまうのは不運なのか、幸運なのか。

 
そして、阪神21年ぶりのリーグ優勝が見え始めた8月12日、月曜日。
日航機が墜落した。

阪神はその前日、福岡の平和台球場で試合を行い、当日午後の便で福岡国際空港から羽田空港に移動している。しかも阪神が乗ったJAL366便は、その後、JAL123便として伊丹空港に向けて飛び立った機体だった。

けたたましい電話のベル。当時の会社のデスクでした。
「どうも中埜肇球団社長が日航機に乗っていたようや。まだ安否はわからへん」

後楽園球場で巨人戦を迎える阪神は沈痛なムードに包まれていました。まだ生死が判明していませんでしたが、吉田監督は気丈に采配をふるっていましたね。でも、チームに与えた動揺はすさまじく、巨人戦3連敗を含む6連敗を喫するのです。首位の座からも陥落してしまいました。

 
事故4日後に、球団社長の遺体が家族により確認された。

吉田監督らナインは「社長のためにみんなでがんばろう」と奮い立ちました。8月17日の広島戦では、広島市民球場で両軍による黙祷が行われ、スコアボード上の両球団旗を半旗にして試合が行われました。

 
そして10月16日、神宮球場でのヤクルト戦でリーグ優勝が決まった。

ネット裏の記者席から吉田監督の胴上げを見ました。慣れていないから下手くそな胴上げでしたが、だからこそ味がありました。球場を引き揚げていく監督、コーチ、選手たちは声を出して泣いていました。その試合のウイニングボールは直後に、宝塚仁川の社長宅に吉田監督らナインの手で届けられました。日が沈みゆく夕暮れ、玄関先で取材待ちしていると、家の中から男たちの泣き声が漏れていました。激しい泣き声でした。嗚咽でした…。

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