RSS

カテゴリー : インタビュー 20件あります

桑田真澄が現役時代を簡潔に振り返る

SEGAのゲーム『野球つく!!』のプロモーション用の記事に、桑田真澄が登場し、簡潔ではあったが現役時代を振り返っていたのでメモ。

 
プロ1年目の1986年、2勝に終わった桑田。
高校時代があまりに華やかだったから、この結果自体は世間からすると期待外れだった。
続きを読む

高代延博コーチの走塁論

Number Webの『なぜ、走塁はすぐ疎かになるのか。阪神とヤクルトにある“差”とは?』という記事の中に、興味深い内容があったのでメモ。

 
4/1の阪神-ヤクルト戦で、阪神の走塁が素晴らしかったという話をすると、阪神の三塁ベースコーチの高代氏はこう語っている。
続きを読む

68歳にしてプロの打撃投手を務める池田重喜氏

現代ビジネスの『68歳、職業「ロッテ打撃投手」裏方の生き様を語る 来る日も来る日も、ただ白球を投げ続けてきた』より。

1968(昭和43)年にドラフト4位で大洋に入団した池田重喜(いけだしげき)氏。
同じ年にプロ入りした選手は、元巨人の高田繁や元ロッテの村田兆治など。
68歳にしていまだに打撃投手を務めており、もちろん日本球界最年長である。
続きを読む

里崎智也のキャッチャー論

引退が惜しまれる千葉ロッテの里崎智也選手。

THE PAGE に興味深いインタビュー記事(『引退・ロッテ里崎が野村克也氏、古田敦也氏より優れていた知られざる記録』)が掲載されていたので紹介。

THE PAGE の記事タイトルにもある里崎が持つ記録とは、1000試合以上出場している捕手の中で、捕逸、すなわちパスボールの通算記録が最も少ないというもの。
続きを読む

控えとなってもイチローの言葉は輝いている

2014年。開幕戦でスタメンじゃないことを受けてイチローが口にした言葉。
続きを読む

プレーイングマネージャーとなった谷繁元信へのインタビュー

NumberWeb上の、Nikonの双眼鏡のタイアップ記事広的なもので谷繁へのインタビューが掲載されていた。(「谷繁元信「流れを読む“観察眼”」」)

「うわーっ、プロ野球選手はでっかいなー!」
30年前、広島市民球場で生まれて初めてプロ野球選手を生で見た谷繁は驚嘆した。
「バックネット越しに見た原辰徳さんの体つきにびっくりしたんですよ。とくにふくらはぎの太さには驚いたなあ。いざ自分がプロに入って打席に迎えたときも、やっぱりぶっといなあと感じました。うちのGM(落合博満)を初めて見たときも、すごいふくらはぎだなって思いましたね。ふくらはぎの太いバッターはやっぱり飛ばします」

確かに、近くでプロ野球選手を見ると、その大きさもさることながら、何よりも、その”厚さ”に驚かされる。

ピッチャーが不調のときは、よかったときの映像を頭の中で呼び出して再生し、ずれているポイントを見つけてアドバイスする。相手打者に対しても、打席の入り方、力の入り具合、タイミングの取り方を観察し、狙いを見抜く。

何千回、何万回と映像を見て、それを自分の中に貯めることで、試合が見えるようになってくる。昔は頭が高速で動いてポンポン早いタイミングでサインを出せる期間というのが1カ月くらいしか続かなかったのが、いまは1年間を通してフラットにその状態を維持できるようになってきました

栗山も言っていたが、キャッチャーは経験を積めば積むほど能力が高まっていくということ。

僕は常にピッチャーが投げやすいように、審判が見やすいようにって心がけながら、一球一球集中してキャッチングしています。他のキャッチャーと比較して見てみてください。たとえば、ワンバウンドの止め方ひとつとっても、選手によって動きがぜんぜん違います。膝を落とすのが素早い人もいれば、上体だけで止めに行く人もいる。パッと判断してボールの軌道に入っていく上手さは、意識してないと気づきにくいポイントなので、ぜひ注目してほしいですね

谷繁が佐々木のフォークを捕るために猛練習した話は有名だが、今もそこは大事にしていることがわかる。

なお、蛇足ではあるが、Nikonの双眼鏡とこの記事との関連のなさ加減は凄まじい。

日本一の三塁コーチと呼ばれる高代延博の方法論

Web Sportivaの高森勇旗氏のコラム『「日本一の三塁コーチ」高代延博が阪神を変える』より

チームの強さを一目で判断するにはどこに注目するかというテーマに対して、高代はこう言う。
続きを読む

カープ時代の育ての親である水谷実雄が前田智徳について語る

THE PAGEの記事「”育ての親”水谷実雄氏、引退した前田智徳氏との思い出を語る」より。

1990年に前田がルーキーで入ってきた時から、上のランクのバッターだと感じたという。
続きを読む

マイペースを貫き日米通算182勝をあげた石井一久

本日の日経朝刊のインタビュー記事より。

30代の初めのころには、マウンドで投げながら眠くなったことさえあったという、マイペースっぷり。

ここに布団を持ってきてくれれば熟睡できるな。そう感じながらマウンドに立っていた

しかも、その試合も本人の記憶では8回1失点ぐらいに抑えて勝ったという。

22年間のプロ生活で大切にしてきたものは「男気」よりも「安定感」。

チームのために自分を犠牲にしてでももう1球……。そう頑張って男気を出すとケガをしやすい。それだったら自分のペースを守って、チームのために1年間コンスタントに実力を発揮することの方が大事だと思う

一番の思い出はメジャーでのバリー・ボンズとの対戦だと言う。

自分の中で初めて生まれた夢が大リーグへの挑戦。その夢舞台で世界最高の打者に投げられた。日本では体感することができなかった

過去を振り返るのが好きではないというが、この話になると目を輝かす。

家族からの愛が支えとなりWBC2次ラウンドMVPに 井端弘和

女性自身『中日・井端 眼病克服に「私の角膜移植を…」夫人の献身愛』より。

巨人への移籍が報じられている井端。
今年3月の第三回WBCでは、期待を上回る大活躍で2次ラウンドのMVPに輝いた。
さぞや浮き沈みの激しい1年間だっただろう。

以前の投稿でも触れたが、井端は眼に問題を抱えていた。
この記事は、妻・明子さんへのインタビュー記事ではあるが、その”眼”についての苦労にも触れられている。

井端が最初に目の不調を訴えたのは2009年の始めにグアムに自主トレに行ったときだった。2008年に視力矯正手術を受けているからその影響もあったのだろう。

電話で『目が腫れて痛いんだよね』と言うんです。帰ってきて、主治医に診てもらうと”ヘルペス”という診断でした。

診断は『上皮角膜ヘルペス』というウイルス性の目の炎症。打席ではボールがぼやけて見え、守備では飛んできた打球を感覚だけで取らなければならない状態だったという。

凄いことに、この年(2009年)は主に1番打者として全試合に出場し、4年ぶりに打率3割を達成している。しかし翌年2010年は、53試合しか出場できなかった。
2011年は戦列に復帰し104試合に出場するも、打率は過去最低の2割3分に落ちた。

家にいてもテレビも見られず、ただ痛みをこらえていたという感じで、いちばん辛かった時期です。そのシーズンに、主人は引退を考えました。朝4時頃まで話して、手を尽くして治療してきても回復の兆しがなくて、『いますぐやめたい。明日チームに報告して球団に言う』って。最後は『治る手はないか私が全部調べるから、それでもダメなら』と二人で納得したんです。

明子さんは目の専門医を調べ、評判の病院には自ら足を運んだ。メガネ屋さんで特注コンタクトの相談もした。
さらに、

私は視力がいいので、網膜とか角膜とかを主人に移植できないかと思って、病院の先生に『移植はできないんですか』と相談しました。主人は笑いながら聞いていましたが、私の目が150キロの球を打つのに役立てば……と思って。実際には『移植は無理です』と先生に言われてしまいましたが。

献身的な愛情を受け、眼の状態も快方に向かい、2012年のシーズン、ようやく症状が落ち着いた。

そして、WBC。

WBCでは明子さんは日本代表の試合をすべてスタンドで観戦していた。
さらに、元気づけようと、日に日に成長する子供の姿などを動画に撮って井端に送っていたという。

家族からの愛情が井端を救ったと言っても過言ではないだろう。
新しい環境でも、彼にしか出せない味を出して活躍してほしいものだ。