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「真の”プロ”への道」工藤公康

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20120410の日本経済新聞のスポーツ欄コラムより。

1995年のダイエーへの移籍直後は驚きの連続だった。西武では全員が「勝つために何をすればいいか」を自覚し実戦を想定して練習したが、ダイエーではキャンプから走らないし動かない。シーズン中、エラーした選手が照れ笑いでベンチに帰ってきたこともあった。思わず怒鳴ったが、当時、「勝つことの難しさ」を理屈で訴えても理解されなかったと思う。

当時、王監督は高卒で95年入団の城島健司を一人前の捕手にしたいという思いがあった。だが、若い彼はただミーティングで言われた通りにサインを出しているだけ。リードとはいえず、捕手としての意思もない。

これではまずいと思った。自分が配球まで考えないと城島にアドバイスすらできない。私は西武時代からのすべてのビデオを引っ張り出しては、毎日見直した。研究したのは打者の見逃し方、ファウルの打ち方、右打者なら右方向への打ち方など。実際の試合で試しながら失敗と成功を繰り返すうち、打者の狙い球を「感じる」ことができるようになっていった。

すべての打者に対してどんな球を待っているのか、どの方向に打ちたいのかがわかったのが99年だった。白球を放す瞬間、自分と相手のタイミングが合っていると感じてとっさにボール球にすることもできた。

城島のサインにわざと首を振らなくなったのもこの年。サインに意思を持たせ、打者の狙いを自ら感じようとしない限り、彼の成長はないと思ったのだ。

城島は見事に期待に応え、チームは優勝という美酒に酔った。

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