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糸井重里さんと原辰徳監督の対談より

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ほぼ日刊イトイ新聞で連載されていた、糸井氏と原監督の対談『プロ野球選手の孤独。』が面白い。

ほぼ日の野球関連の記事は、いつも野球愛に溢れていて、味がある。
かつ、勉強になる。

 
原監督が現役の頃と今との違いについて。

我々の時代と違うのは、まず、「ポストシーズン」という区切りが制度としてしっかりしているということですね。
我々のころは、1月7日、8日、というあたりから「自主トレ」という名のもとに、多摩川でふつうにチームとしての練習がはじまっていたんですよ。
 
それが、12月1日から翌年の1月いっぱいまでは、コーチは指導してはいけない、という規約が(※1988年に)できて、「ポストシーズン」というものが確立された。

 
これにより、その2ヶ月間は個人でトレーニングせざるをえなくなり、各選手がオフをどう過ごすか考えるようになったと。

それと同時に大きいのは、やはりアメリカ、メジャーリーグというものが非常に身近になった。
 
そこで、夢が底上げされたというか、自分のポテンシャルというものを非常に追求する選手が多くなったんですね。
それまでは、野球選手の最高到達点というのは、日本のプロ野球チームのなかでエース、あるいは四番バッターというような位置だったものが、もっともっと力をつけて、メジャーリーガーだとか、あるいは日本代表チームに入るというふうに、非常に、こう、世界が広がったわけです。

その後、二人の話はチームプレーと個人の技量の話に移るのだが、その中で糸井さんが面白い発言をしている。

解説者の方なんかがよく言う、「最低でも右打ちしてランナーを進める」。
その「最低でも」という言い方が、ぼくは常々疑問だったんですよ。

すると、原監督も即座に同意。

ぼくも疑問に思いますよ。
「なんで、ここで外野フライも打てないんだ」
とかね。
 
「最低でも、ここは右打ちで、ランナーを」。
そんなことできるんだったら、ヒット打てますよね。
ぼく、いっつもそう思う。
 
だから、野球って、なんていうか、難しい。簡単そうで、難しい。
 
難しいんだけど、簡単に見えるのが野球なんですよね。

いや~、自分もテレビ中継見ながら、最悪でもランナー進めろよ!って言ってるなと反省。
そんな簡単じゃないんだよと。

そして、この対談のタイトルにもなっているテーマへ話は続く。

たとえばバントとか、スクイズとか、あるいはエンドランとか、そういう、チームプレーとして動く戦術、これは成功するにせよ、失敗するにせよ、動いてもらわないと困る。
でも、それ以外は「任せた」っていう、ね。
 
やっぱりもう、個人なんですよ。
 
打席に立ったら、マウンドに立ったら、孤独です。
しかし、孤独のときに、どういうふうに、いいパフォーマンスができるか。
というのが、やっぱり、日頃の練習であり、日々、コーチが伝えようとする技術であり。

そういう意味で、最後はチームじゃなく個人の力量が大事だという話。

 
孤独という話から派生して、WBCをはじめとする、混成チームのメンバーが、最初、それぞれが孤独で、硬いという話へ。
その実感は、原監督が高校時代に全日本チームに選抜されアメリカに遠征にした時に感じたことが原点となっているという。

それまでの野球といえば、いつもチームメイトといっしょでした。
なにか、チームメイトといると、自分も強く感じる。
 
チームの中に自分が融合して、知らず知らずに自分自身を大きく感じることができていたわけです。
それがひとり、ぽんっと放り出されて、日本代表というチームに入ったときにすっごく孤独感がありました。
 
いままでのプレーを果たして自分ができるだろうか、という不安が出てくる。
しかし、一度チームに溶け込んで、みんなと汗を流し、自分がもといたチームと同じような気持ちになれると、今度は、日本代表という非常に高いステージでやれてるという部分で、逆にもっと自分の力が出るんですよね。

これは、非常にイメージしやすく納得できる話。

原監督は続ける。

だから、WBCの日本代表チームも、そういうふうな、ひとりひとりがチームに融合するような環境にすることが大事だと思うんです。

この発言だけで、チーム作りをどうこう言えたものじゃないだろうし、優勝した結果論の部分もあるだろうが、第二回WBCのチーム作りはうまくいっているように見えた。

 
話はWBCの話になり、原監督は勝ち負けについては特に考えなかったと言い切る。

「勝つ」という以外ない。
「負ける」なんていうのは、頭の片隅にもなかった

そう考えられるメンタリティが凄い。

しかし、その、「戦いざま」というものに対しては気をつかいました。

大会がスタートしたら、そのあとの筋書きがどうなるかというのは、これはもう、誰にもわからない。

思ったのは、「27のアウトを取る」こと。
あるいは、「27のアウトを取られる」こと。
というなかで、どうやって進めていくか。

その、アウトの取り方と、アウトの取られ方においてはやっぱり、きちんと理にかなった、率の高い方法で、進めていかなくてはならないと、そういうプレッシャーはすごくあった

糸井さんが、そのプレッシャーに打ち勝つ支えは何だったのかと尋ねると

高校、大学と、野球をずっとやってこられたこと。
そして、ジャイアンツという球団で、四番として、
まがりなりにも長い年数、戦うことができた。
それから思えば、こんなことは、
なんというかな、まだラクだと。

そのキツい経験の中で、特に、高校時代とジャイアンツの4番時代をあげている。

高校の3年間。その、やってる最中はね、「プロ野球選手になりたい」という、夢に向かってやってるから、なんてことはないんです。あとで思うと、あれが支えになっているという感じです。

あとは、ジャイアンツというチームの四番を打っていたという経験ですね。
 
キツい試合のあと、寝て、朝、目が覚めて、「また試合だ‥‥」と思う。
しかし、それは、ぼくが自分で「四番を打ちたい」と望んでやってきたことですから、それを思うと、やれるんです。しかし、あとで思うと、なかなかね(笑)。

高校時代の原さんは知らないが、ジャイアンツ四番時代の苦しんでいる原さんは記憶に鮮明。
それが礎になっているんだなぁ。

 
2012年のシーズン、原監督率いるジャイアンツは、交流戦、ペナントレース、クライマックスシリーズ、日本シリーズ、アジアシリーズ、すべてに優勝し、5冠を達成した。
難しいのは、その翌年。
この年を、どういうふうに気持ちを切り替えて、あるいは高いモチベーションを維持したままで戦っていくんですかと尋ねると。

いつもは
「昨年は昨年、今年は横一線からのスタートだ。 切り替えて行こうじゃないか」
というふうなことで、スタートしていくんです。
 
実際、前回(2009年)、前々回(2002年)と日本一になったあと、
そういうふうに言って切り替えていったんですが、連覇はできなかった。
 
相手はジャイアンツに勝つことをはっきりと目的にして向かってくるわけですから、優勝した翌年というのは、1試合1試合が、よりハードになってくるわけですね。
 
そういうことを十分にわかったうえで、しかし、それを跳ね返すんだと。
そのつもりで戦おう、と選手たちには言いました。
立ち向かってくる相手を跳ね返して、「連覇を意識しよう」と。

監督になった後も、毎年毎年成長していることが伺える。
敵からしたらホント嫌な相手だろう。

 
気持ちの切り替え、持ち方という意味で、例えば連敗中などチームの調子が良くない中、明日も試合をしなきゃいけない監督って、なにをどう思ってるんですかと問うと

プロ野球のペナントレースっていうのは、非常に長丁場ですし、その前の日のゲームで負けていても、もう毎日のように、試合、試合なわけです。
それも、ゼロ対ゼロの状態からのプレイボールで、いつもゼロからはじまるわけですよね。
そういう点では非常に新鮮ですよ。
 
でね、シーズンも終盤になって、やっぱり致命的な敗北をすることはあります。
「あ、今日負けたらペナントレースは終わるんだな」
というゲームを迎えることは、あります。
 
ほんとうに、そのシーズン、勝てなかったと、確定してしまう試合がくる。
そのときに、がっかりすればいい

どのスポーツでも当て嵌まることだが、負けを引きずらない、気持ちを切り替えられる人じゃないと、良いパフォーマンスは出し続けれられないってこと。

最後に、糸井さんから「勝ったときに学ぶことは少ない」というけれど、勝っても学ぶことっていうのは多いですよねと問われると

学ぶものが、すごくあります。
あるけれども、勝ってしまったうれしさで、その、学び取るべきものをすーっと通り過ぎるケースはありますね。
 
やっぱり、考えるんだったら、勝ったときも負けたときと同じように、考えたほうがいい。

おっしゃるとおりで。調子が良いときほど考えなくなるのは仕事でも同じ。

今回も学びの多い特集だった。
ほぼ日さんに感謝。

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