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権藤流投手交代のタイミング

日経朝刊連載の権藤さんのコラムより。

今回は投手交代のタイミングについて。

投手の心はガラス細工のように繊細だ。先発でも救援でも、打たれたまま降板するとあとに響く。「アウトを取るまで」と言っているうちに失点することもあるが、そういう試合はどうせ負けいくさだ。曲りなりにも打者をうち取って降りれば、打たれた傷口も生傷でなく、かさぶたになる。ここが肝心だ。
 
小さな”勝利”でいいから、一日の終わりだけは気持ちよく。長年の指導者生活で私はそこに心を砕いてきた。

アマチュアの監督・コーチがこのような思考をするのはともかく、プロの監督がこう考えるというのは驚きだった。
小宮山に「権藤さんはピッチャーに恥をかかせないんですね」と言われたことからしても、珍しいタイプの監督なのだろう。

特に、これから将来が嘱望される若手投手の場合はより慎重に考えていたようだ。

プロ初先発の投手が、五回まで抑えて勝ち投手の権利を得たら、すぱっと代える。

ベンチが欲を出して続投させ、その後で打たれてイニング途中で交代することになると、成功体験にならないと権藤氏は言う。

続投させたいのを我慢し、無傷で降ろすのが正解。

 
そして、現在の監督で権藤氏が評価しているのが秋山監督。

彼は投手起用に未練も欲も持たない。切りの良さだけを考えている。

そんな視点で見たことがなかったが、きりの良さ”だけ”を考えていると言いきれてしまうのが面白い。

 
確か権藤さんは、監督ではなくコーチとしてチームに入っている時に、投手の起用方法で監督と揉めていた記憶がある。

代え時がいつがベストかという問題は、ケースバイケースだろうし、心理的な問題もあるから一筋縄ではいかないのだろうが、今回のコラムで権藤さんのこだわりの強さの一片が伺うことができたのは興味深い。

下柳剛が語る伊良部秀輝

スポニチアネックスの連載で、弟のように可愛がっていた伊良部について書いている。(『酒の席でいきなりシャドーピッチング 野球の虫だったラブちゃん』)

あの伊良部を「ラブちゃん」と呼ぶほどの間柄。

東京から新幹線に乗って大阪へ向かっとった。目的はマンション探し。新幹線で一息ついとったら、なんか人影を感じた。
「先輩、お久しぶりです。今年から先輩と同じ阪神でプレーさせてもらうことになりました。どうか、よろしくお願いいたします!」

伊良部は下柳のことを「先輩」と呼んでいた。
もっとふてぶてしいイメージだが、実際は礼儀正しい。

2人とも野球のことをしゃべり出したら、もう止まらない。新地のクラブで飲んでたときも、野球モードになったら周りに女の子がいようが関係ない。おもむろに席から立ち上がったかと思うと、いきなりシャドーピッチングや! そら、オレ以外の全員があっけにとられとったわな。
それぐらい、アイツは投球フォームにはとことんこだわっとった。

あの巨体がクラブで立ち上がっていきなりシャドーピッチングし出したら、ボディガードを呼ばれかねないだろう。

すでに現役引退しとった2008年か。六本木の鉄板焼きで飯を食っていたら、またまた突然、ラブちゃんが立ち上がった。ちょうど、壁が鏡張りになっているお店やったんやけど、それに気付いたんやろうな。鏡をチラチラ見ながら、あいつが「先輩、フォームを見てください」と言ってきた。そのときの表情も、本当に真剣でね。
オレも自分が思うところを、しっかりと伝えた。
「ヒールアップをやめてみたらどうや。それではどうしても、膝に負担がかかってしまうやろ」
 ラブちゃんは投球時、軸足である右足の踵を上げていたからね。試しに踵を上げずにシャドーピッチングをしてみたら、痛みがないという。

一流の選手たちは、みな愛すべき野球バカなんだなということを再認識させられるエピソード。

赤星憲広が明かす難解な岡田監督の会話

デイリースポーツオンラインの『 元阪神・赤星氏 岡田語に冷や汗だった 』より。

8/26放送予定の関西ローカルのTV番組「痛快!明石家電視台」の収録時に出たエピソード。

当時の岡田彰布監督の主語や説明を省きまくる、独特のオカダ節について「『そういうことよ』や『そらそうよ』が口ぐせで、何を言っているのか分からないこともありまして」と、実は虎ナインも首をかしげることが多かったことを告白。

『そういうことよ』『そらそうよ』が口癖ってオモロイ。
でもそう言ってる岡田監督の姿が容易に目に浮かぶ。

当然ながらディスるだけならTVで言うはずはなくエピソードは続く。

選手会長として岡田氏と多く会話するうちに理解が深まり、「監督はものすごいことを考えている。選手が皆、それを理解できれば勝てる」と、以降はオカダ語の“通訳”として、若手選手らに説明していたことを明かした。

ふむふむ。そうだよね。
岡田氏って選手時代もクールな頭脳派な印象はなくて、監督としても最初は似たような印象だったけど、退任する頃にはしっかり監督やってるな~という印象に変わっていた。

そんな赤星氏でも、あるデーゲームの試合前に岡田氏から「赤星、お前、きょうアレな」と告げられた際には意味が分からず聞き返し、怒られそうになったという。
 
コーチに尋ねたところ、赤星氏の疲労が蓄積していることを考慮した岡田氏が“きょうは試合後半から出場な”との意味だったことが分かった。

聞き返しにくい雰囲気があるんじゃなくて、怒られそうになるんかいっ!笑
こりゃ選手も大変。

記録を見てみると、2004年から2008年までの5年にわたって指揮を執り、順位は4-1-2-3-2。
2005年の日本シリーズでは勢いに乗るロッテに4タテされてしまった印象が強いけれど、5年間の成績を通して見ると悪くない監督だったのではないだろうか。

権藤博が語る岩瀬仁紀の凄さ

毎週楽しみになっている、日経の権藤氏のコラム。
今日は、先日前人未到の400Sを達成した、中日の守護神、岩瀬仁紀投手について。

そもそも「リリーフ」というポジションについて権藤氏はこう評する。

下手をうったら先発の勝ち星などすべてが吹き飛ぶ。このポジションについた投手はまず笑顔を失う。抑えてベンチに帰ってきたときでも、こわばった顔にひきつった笑いが浮かぶだけ。投げているときの重圧がそれほど大きいのだ。

比較的笑顔が印象に残るあの大魔神佐々木でさえ、「破顔一笑」を見たのはリーグ優勝を決めた時だけだったと。

そして、岩瀬について。

最後に1点勝っていることが目的と腹を決めている岩瀬は慌てて勝負をかけるようなまねはしない。
抑える確率の高い打者を見極め、危ないと思ったら、簡単に勝負に行かず、これなら大丈夫というところまで我慢する。必要ならボール球も費やし、1イニングに手間暇をかけて抑える。やるかやられるか、という土壇場の緊張感に脂汗を浮かべながら、ここまで粘れる投手はいない。
 
並みの投手は重圧から一刻も早く逃げたくなって「エイヤッ」と、イチかバチかの勝負に出て墓穴を掘る。
岩瀬は違う。窮鼠になっても、猫とのにらみ合いに耐え、必ず勝機を見つける。

岩瀬の特質がよくわかる内容での大絶賛。

岩瀬も年齢との戦いは避けられない。しかし、その衰え方はゆっくりとしている。佐々木は三振がとれなくなったら打たれ出したが、岩瀬はもともと走者を出しながらでも抑えるタイプだ。

今年の11月で40歳を迎える岩瀬。
しかし、まだまだやってくれることをプロ野球ファンは望んでいる。

巨人鈴木の走塁、阪神上本・梅野の守備プレーについての掛布さん評

おなじみ、THE PAGEの掛布さんの連載より。「掛布が語る 阪神と巨人 潜在的な力の差

7/23の巨人阪神戦でのプレーについて。
9回に代走で登場した巨人の鈴木尚広。能見―梅野バッテリー相手にカウント1−1から盗塁を仕掛ける。

能見の投球はワンバンとなったが、梅野がうまく処理して素早くスローイング。カバーに入った上本のグラブへストライクの送球。タイミングは完全にアウトだった。

上本は、鈴木をやや待つ形にまでなった。しかし、鈴木のスライディングテクニックが一枚上手だった。鈴木は、キャッチャーから見てセカンドベースの一番遠い右端を狙って滑ってきた。“世界の福本豊さん”から「セカンドベースの一番遠くを狙うんや」という盗塁の滑り方のコツを聞いたことがあったが、“35歳の走り屋”は、この大事な局面で、そういう高度なテクニックを使ってきた。滑る場所が遠いので、上本は、必然、追うようなタッチとなり、足が先にベースに触れたとセーフの判定。

すなわち、鈴木の経験・技術が上本のそれを上回ったと。

鈴木も試合後のインタビューにこう答えている。
「ピッチャーとのタイミングをずっとすりあわせていた。それに時間がかかってしまった。タイミング的にはちょっと分が悪かったが、自分のスライディングの技術が勝った。」

逆に、上本は試合後「判定なので…」とうつむいてクラブハウスに引き揚げたと。

こういう場合、守備側としては、追うようなタッチではなく、ランナーに向かって倒れこんでいくような体を張ったタッチプレーが求められる。

その後、二死満塁の場面で能見のフォークがワンバウンドとなり、梅野がそれを後逸して鈴木が決勝のホームを踏むことになる。

記録はワイルドピッチで決して梅野を責めることのできないプレーだった。だが、そこまでミットより先に、まずフットワークで体を動かしてボールを前に落としていた梅野が、このときに限って、ミットから先に動いて体の動きが一歩遅れた。小さいがとても大きなミス。

掛布さん、「責めることのできない」と言いつつ、「とても大きなミス」とバッサリ。

でも、これがプロの世界。
これを糧に、梅野には奮起して一回り大きくなってほしいものだ。

入団以来本塁打ゼロ記録を続ける千葉ロッテ 岡田幸文

THE PAGEの7/7の記事『ロッテ岡田、入団以来本塁打ゼロの珍記録 まもなく達成』より。

記事によると7月7日時点で、入団以来通算1745打席本塁打がなく、現記録である東京セネタースの横沢七郎氏の1770打席まで残り25打席と迫っていると。

本塁打が打てなくても生き残っている選手はいくらでもいるわけで、それ自体はさほど珍しいことではない。

本人もこう語る。

僕は打球が飛びませんから、フライを上げてしまってはノーチャンスなんです。強い打球、ゴロを転がして塁に出て、野球やピッチャーにプレッシャーをかける。塁に出るということが自分に求められているものだと思っています

さもありなん。

あわやホームランという当たりがなかったのかという問いに対しては、

去年、西武ドームでありました。相手投手は確か牧田でした。でも前に守っていた野手が少し下がっただけで、フェン直にもならなかったです。ホームランの感触というものが僕にはわからないわけですが、『これじゃないか』という手ごたえがあった打球だったんですけどね

ホームランの感触というものが僕にはわからない」と言い切るあたりに、むしろ清々しさを感じるコメントである。

当然ながら、ホームラン以外の事へのこだわりは強い。

使っているバットは2010-11年と今では違うらしい。

2010年、2011年は、960グラムの“つちのこバット”で、グリップをひと握り半も余して「ポイントを体に近づけ、詰まってもいいから、体を使って振り切る。外野の前に落ちればいい」というバッティングを心がけてきた。だが、現在はバットを900グラムの少しグリップの細いものに替え、芯で捉えた際、外野の間を抜けるほどの長打力を求めている

盗塁について。

牽制の癖は見ない方です。盗塁も感性と勇気。スタートは早くないので中間スピードとスライディングでカバーしていいます」と言う。「ここで滑る!」というタイミングをひと呼吸我慢してベースの近くで滑るのがミソ。怪我の危険性は高いがベース際のスピードが増すのだ。

そして、守備について。

一歩目とスタートを意識しています。ピッチャーの球種、球質、調子、バッターのタイミングの取り方と、その日の調子などを見ながら、打つ前には、もう動いているという感覚を持っています。データは見ません。感性です。それは練習の中から数多く打球を受けて磨きます。裏をかかれることもありますが、それでもグラブに収まってくれるような守備をしなければならないし、10回に一度の、その確率を減らしていかねばなりません。ゲーム展開によっては、『いける!』と確信したら勝負しにいきます

盗塁も守備も感性重視なのだ。

厳しい状況にある千葉ロッテだが、岡田選手がチームの雰囲気を変える働きをしてくれることを願ってやまない。

権藤博が語る大谷翔平と投球時の体の使い方

本日の日経朝刊スポーツ欄のコラムより。

才能が一気に開花しそうな大谷翔平について。
権藤氏は大谷のイニング間のキャッチボールの様子に目を引かれたという。

ふわー、ふわーっつと楽に投げている。一方、同期の阪神・藤浪晋太郎はベンチ前でビュンビュン投げる。投球はいかに力を抜くかだから、あんなところでしゃかりきになるようでは……と思っていたので、大谷の力の抜け具合が際立った。

マウンドでもキャッチボールの延長で、手投げに見え、球が指先から離れる瞬間は棒立ちにすら見えると。しかし、これは往年のエースである金田や稲尾と同じだと権藤は言う。
そう言われると、古い映像に映っている金やんや稲尾のフォームには力感が感じられなかった記憶がある。

ここから、投球時の体の使い方に話が及ぶ。
一般的に、野球では「手投げはダメ、体を使って投げろ」と言われるが、権藤に言わせると「常識」とされるフォームでは体を使うことと、球に力を伝えるということの目的と手段の関係がひっくり返っていると。

もちろん体全体を使うが、それは最終的に指先からボールに力を伝えるためだ。球を放る瞬間にはもう体の役割は終わって動きが止まり、腕と指先に乗せられた力で球が行く。

指先を走らそうと思えば一瞬体は棒立ち、手投げになる。もちろん盤石の下半身があってのことだ。

大谷も、昨年は全身を使おうとするフォームで体と腕が同時に出ていたから、球が速くてもタイミングが合わせられやすかった。しかし今年は違う。

権藤が言うに、大谷はメジャーに行ってもダルビッシュや田中将大と並びうる逸材。
そして、このコラムは以下の一文で結ばれている。

二刀流を続けるべきかどうかなど、もう考えるまでもない、といえるだろう。

2番打者論は面白い

Number Webの氏原英明氏による『2番は“ゲームを動かせる打順”。野球を変える「2番打者再考」論。』より。

まずは、西武の栗山巧。
2008年に、2番打者として最多安打のタイトルを獲得し西武の日本一の立役者の一人となったことは未だに印象に強く残っている。既に6年前ではあるが。

僕の前が片岡さん、中島さんとおかわりが後ろにいる打順で、そこに挟まれて2番をやれたのは大きかったです。最初は、苦しみながらヒットを打つことを考えていたんですけど、どうやってヒットを打つかと考えたときに、流れに沿った中でプレーした方がヒットになりやすいことがわかってきました。

たとえば、片岡さんはその当時50~60の盗塁がありました。単純に考えたら、相手のバッテリーはスチールを防ごうと思って、外のまっすぐが多くなる。またゲッツーを狙いに来た時は、外のシュート系が多くなる。そして、後ろに中島さんとおかわりがいるから、僕には四球なんか出せないんですよね。つまり、ストライクゾーンで勝負してくる。

早めに追い込んでくるから、カウント球は、緩い球から入ると考えて打席に立っていました。

昔と違って、前の打者が出塁したら2番打者は必ず送りバントのような画一的なパターンはなくなってきた。
そして記事内でも、最近は良く聞く話ではあるが、守備側は送りバントを嫌がっていないという話に。

2013年、序盤戦を主に2番で起用された千葉ロッテの角中勝也は、打者心理と野手心理の両面があると語っている。

1番が先頭で出塁するとチャンスですけど、さらにそこで2番がヒットを打てば、一、三塁になって得点チャンスを広げられる。自分的には、簡単にバントをするよりも、そっちの方が相手としては嫌なんかなというのは感じました。

バントするのがダメってことじゃないんですけど、2番がヒットでつなげば、チームは盛り上がると思いますし、クリーンアップがきっちり返してくれると、1点じゃなく、2、3点入ってくるチャンスがある。守っているときも感じたのですが、先頭が出塁して、2番が打ってくる方が守りにくいと思います

セパのキャッチャーも以下のように語る。

黒羽根利規(DeNA)

展開によりますけど、序盤はバントをしてくれる方が楽です

炭谷銀仁朗(西武)

送りバントか強攻か、どっちがいいかというより、送りバントはさせた方がいいと思います。警戒しすぎて、ボールが先行する方がもったいない

投手はどう感じているのか。
中日の大野雄大こう言う。

序盤、特に初回であれば、投手は最初のアウトがほしいというのもありますから、ノーアウトでランナーが出て、打ってこられる方が嫌ですね。『ランナー二塁』は得点圏ですけど、走者が還ってくる確率というのはそれほど高くないし、得点圏打率で5割を打つ選手はそう多くないですよね。そういうことを考えると、序盤の送りバントは助かります。特に僕のようなタイプは、序盤は手さぐりで投げているところがありますから、初回だったら、ワンアウトでホっとできる部分があります

この発言からは実感が伝わってくる。立ち上がりが不安定な投手は多いだろうから、そこで労せずしてワンアウトとれるのは楽なのだろう。

栗山巧はこうも語っている。

フリーで打つという権限を与えてもらえればの話ですけど、初球から打ってもいいし、待ってもいいという役割をもらえたら、2番はゲームを動かすことができる打順やから、面白いと思います

この記事自体は当初期待したほど2番打者論に踏み込んでおらず、バント論に重きを置いてしまっているので残念だが、2番打者という存在が面白いことに変わりはない。赤坂英一氏の「2番打者論」をやはり読まねばいかんと痛感。

甲子園球場と阪神園芸と下柳剛

2月にスポニチの下柳のコラムに注目したっきり目を通すことができていなかったが、久しぶりにチェック。

最新の6/9の回では、甲子園球場での思い出について触れられている。

本人の中では良い印象しか残っていないという甲子園。
実際に甲子園での成績は87試合投げて44勝17敗、防御率2.90の見事な成績。
勝率7割2分は恐れ入る。

そして、甲子園のグラウンド整備を行なう阪神園芸とのエピソードも。

本拠地ならではのちょっとした工夫もあった。これは、いまやから書ける話やけど、阪神時代、阪神園芸さんにお願いしてオレの先発時は通常よりもマウンドを硬めにしてもらっていた。

地面が硬ければ硬いほど、力をもらえるんや。具体的には、バッターへ踏み出す側の右足が着地した時やね。地面から右足に伝わって来た力を、最終的には左手の指先に伝えるイメージ。だから、オレは硬いマウンドの方が好きやったんや。

その硬いマウンドに対応するために、スパイクにも工夫を凝らしとった。普通、スパイクの裏にある歯は多くても9本ぐらいなんかな。でも、オレの場合はほぼ倍の16本をつけてもらっている時期があった。

それだけ歯が多いと、マウンドを踏みしめたときに絶対にずれない。少しのズレ、ブレが投手にとっては命取りになるわけやから。

他の選手がどうだかはわからないが、細かいところにも気を使っていたというのは下柳の自負のようだ。

そして、もう1つ阪神園芸絡みの思い出が紹介されている。

オレにとって忘れられない一戦がある。2007年9月17日の巨人戦。1―0でリードした迎えた5回やった。

2死一塁となったところで、急に雨脚が強くなってきてね。打席にはピッチャーの木佐貫。そしたら、巨人側から試合中断を要請する動きが入った。チームにとっては優勝争いの一戦。オレも頭に来たから、思わず「シッシッ」ってグラブで追い払ったわ。

で、試合は結局、中断。何とも言えん気持ちやったけど、阪神園芸さんがオレのところへ走ってきてくれた。
「シモ、絶対に中止にしないからな!」

その言葉通り、グラウンド状態は最悪に近かったけど、懸命の整備の甲斐あって試合を続行することができた。だから、オレも約10分間の中断中、集中力と気持ちを一切切ることはなかった。オレに勝ち星はつかなかったけど、最後は4―1で勝利。これは、ほんまに、うれしい勝利やった。甲子園以外の球場やったら、まず降雨ノーゲームやったやろうからね。

裏方さんあっての選手という話。
やはり、下柳はエピソードの切り取り方も悪くない。
またちょくちょく覗いてみよう。

権藤博が語るベンジャミン・オグリビー

日経朝刊に時々コラムを書いている権藤さん。
今回は、80年代後半に近鉄に在籍していたオグリビーについての話だった。

権藤氏曰く

「こいつは格好いい。本物の男だ」とうならされた一人だ

MLBのブルワーズ時代にはホームラン王も獲っているスラッガー。
来日時には峠は過ぎていたが、ボールがつぶれそうなインパクトの強烈さに応援の名残りがあったという。

「ベンジー」の愛称で慕われた彼は、立ち振る舞いのすべてに、気品を漂わせていた

彼の人となりについてはまったく知らなかった。
そして、権藤の記憶に強く残っているエピソードが以下だ。

日生球場でロッテの抑え、牛島和彦からサヨナラ本塁打を放った。連続セーブ記録がかかる相手だったからか、いつもは寡黙にベースを回るのに、このときばかりは三塁のあたりでガッツポーズをした。そこからベンチに入るまで数秒だったはずだが、もう神妙な顔になっていた。
「思わず興奮してしまった。牛島に謝りたい」

彼は本塁打を打ってもゆっくり走らなかった。
「投手にとってつらい時間だから、早くしないと」
それほど相手のプライドを気にかけていたから、自分の軽率な行動が許せなかった。

もう1つ紹介されていたのが、オグリビーのMLB時代の、ノーラン・ライアンとの対戦時のエピソード。

1打席、2打席とかすりもしない。そこでどうしたかというと、打席のたびにバットを重くしていった。950グラムほどのが最後の打席は1キロ近くになっていたそうだ。

バットを軽くした方が当てやすそうだが、それでは球勢に負けるし、プライドが許さない。
「軽くしたら負けなんだよ」と言っていた。

いずれも、一流のプレーヤーとしての心意気が感じられる。